NHK大河ドラマ『べらぼう』を楽しむための背景知識 その2

常連の皆様方~、大河『べらぼう』を視聴していますか?
磯貝老師は毎週楽しんでいるだろうな、歴史ものが好きだから。

さて、需要の有無に関わらず、今回は第二弾です。

◎吉原あれこれ

吉原遊郭は、開府間もない、1617年に早くも江戸幕府が公認した唯一の游里(=買売春地帯)です。
この「公認」には意味があって、時代劇ファンなら、「岡場所 おかばしょ」という言葉を聞いたことがあるでしょう。
その「岡場所」とは、非公認の游里のこと。

つい最近も、大好きな『鬼平犯科帳』のDVDを観ていたら、「岡場所」とか「宿場女郎」などのセリフがポンポン、出てきましたよ。

あ、そうそう、大黒屋女将(演じるは安達祐実)が、地本問屋を束ねる鶴屋に対して「こちとら、天下御免ですけどね」と言い放ったのは、幕府のお墨付きである事実を強調したもの。

*吉原は移転した

最初に、吉原が設置されたのは日本橋の葺屋(ふきや)町。
それが、1657年に幕府の命で浅草へと場所替えします。
日本橋の時代を元吉原、浅草移転後を新吉原と呼ぶそうです。

*遊郭・遊廓と称する所以(ゆえん)

吉原は堀や塀で周りを囲い、市中とは隔絶されていました。
見る者に、まるで「城郭」のような印象を与えたといいます。
そこから、「くるわ=曲郭・曲輪」と呼ばれ出し、さらには「遊廓」「遊郭」と称するようになったようです。

吉原の周囲には、幅五間(約9メートル)の溝、通称「お歯黒溝 おはぐろどぶ」があり、出入り口は「大門 おおもん」ひとつでした。
お歯黒溝は、もちろん、遊女の逃亡を防ぐためのもの。

*忘八(ぼうはち)とは
以下の(  )内は演じる俳優さん

吉原の顔役たち、駿河屋(高橋克実)、扇屋(山路和弘)、大文字屋(伊藤淳史)、松葉屋(正名僕蔵)、大黒屋(安達祐実)などの面々を評する言葉として、『べらぼう』に何度も登場する「忘八」。
これは、八つの徳目(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)をすべて失った者のこと。

この表現は、皆さんの予想通り、支那由来です。
出典は『五雑俎』という支那古典。

さて、吉原についてはこの程度にして、別の話題に。

◎御三卿(ごさんきょう)とは

このドラマの中に、一橋治済(ひとつばし はるさだ)とか田安賢丸(たやす まさまる)等の武家が登場します。
前者は生田斗真さんが、後者は寺田心さんが好演しております。

日本史好きには、「何をいまさら」と言われそうですが、「一橋・田安・清水」の三家を御三卿と称します。
簡単に言うと、第八代吉宗が自分の血筋のものに将軍職を継がせたいというエゴをむき出しにして、造ったシステム。

要は、家康考案の「御三家=水戸・尾張・紀州」を真似したわけですよ。
紀州徳川家の吉宗が、水戸と尾張には決して「将軍職」を渡さないためのもの。

ホント、家康といい、吉宗といい、「我が子のため、お家のため」でございます。
その意味では、吉宗は暴れん坊将軍というよりは、「我が子が一番将軍」ですね。

しかし、将軍が自分の血脈第一で政策を進めたことが、後に、幕府そのものの弱体化につながるのですが、、、、
それは、また別の話。

さて、一橋治済(生田斗真)は、黒幕とか怪物とも呼ばれた幕政における実力者。
田安賢丸(寺田心)は、後の松平定信で、あの「寛政の改革」を主導した人物。
これ以上、二人の足跡を紹介すると、今後の『べらぼう』のネタバレになるかもしれませんので、この程度に。

◎最後に、前項の補足を

では、吉宗と御三卿の補足説明を少々。
第八代将軍吉宗の長男、家重(いえしげ)が第九代将軍となり、世襲作戦は成功。
その家重の長男が第十代将軍となる、家治(いえはる)です。

第十代家治を演じているのは、眞島秀和さん。
再度、話を少し戻しまして、第九代家重の次男が重好(しげよし)で、この人物が清水徳川家の家祖です。

さて、第八代吉宗の三男が宗武(むねたけ)で、田安徳川家の家祖となります。
そして、吉宗の四男が宗尹(むねただ)であり、この人が一橋徳川家の家祖。
ゴチャゴチャしているので、下に再掲します。

*田安徳川家=初代当主は徳川宗武(むねたけ)で、吉宗の三男
*一橋徳川家=初代当主は徳川宗尹(むねただ)で、吉宗の四男
*清水徳川家=初代当主は徳川重好(しげよし)で、第九代家重の次男(=吉宗の孫)

前項でみた、一橋治済(演者は生田斗真)は宗尹の四男(=吉宗の孫)ですね。
田安賢丸(演者は寺田心)は宗武の七男(=吉宗の孫)になります。

というわけで、今回はこれぐらいにしておきます。
個人的には、『べらぼう』は気に入ってはいるのですが、視聴率は今一つだそうです。
さて、第三弾はあるかな?