英語サイトでは「Israel-Hamas war」「Israel Gaza war」「The Israel-Hamas War」のように「war」の表記が目立ちます。
別に、欧米メディアのファンではありません。
ただ、日本での報道とはなにか温度差があるような気がして、あくまで個人的になんとなくそんな気がしたので、「war」をタイトルに入れました。
もちろん、欧米でもwarかconflictかは、明確な基準が無さそうだし、立場によっても異なるようです。
また、warと記した後に、バリエーションでconflictを使うのもよくあることですが。
とにかく、当ブログ「時事」でこの「war」の背景について触れてみたいと思った次第です。
今回は、イスラエル建国宣言からオスロ合意までの超々概略。
今回の流れは、
オスマン帝国の支配から
⇒英の対アラブ・ユダヤ外交(フセイン・マクマホン協定とバルフォア宣言)
⇒英によるパレスチナ委任統治(1920~1948、国際連盟の承認は22年)
⇒英委任統治後のイスラエル建国(1948~)
⇒その後の戦争や条約、領土について
⇒オスロ合意(1993)まで、を見ていくつもりです。
では、始めます。
1 パレスチナはもとはオスマン帝国(1299~1922年)が支配
*この地域には、多数派のアラブ人、少数派のユダヤ人、さらに少数の複数民族が暮らしていた。
*第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、英がパレスチナを支配するようになる。
2 批判の多い英の対アラブ・ユダヤ外交
*1915年の「フセイン・マクマホン協定」で英は、アラブ人にオスマン帝国からの独立を約束した。
*1917年の「バルフォア宣言」でユダヤ人のパレスチナ復帰運動(シオニズム)を援助する姿勢を示す。
*「バルフォア宣言」をもとに英はパレスチナ統治を開始、その委任統治が1922年、国際連盟で承認された。
⇒多数派のアラブ人は自分たちの土地だと主張したし、ユダヤ人にとってパレスチナは先祖の土地だった。
3 1920年代~1940年代にかけて
*パレスチナに流入するユダヤ人が増え続けた。迫害、特にナチスによるホロコーストから逃れるためだった。
*アラブ人とユダヤ人の間の衝突・暴力が増え続けた。
*1947年に国連がパレスチナを分割して、アラブ人国家とユダヤ人国家を別々で作る案を出したが、ユダヤ側は受け入れたがアラブ側は拒否して、この案は流れた。
4 1948年のイスラエル建国宣言とその後
*英によるパレスチナ委任統治が終了すると、ユダヤ人は1948年5月にイスラエル建国を宣言した。
*建国宣言の以前から、アラブ・ユダヤ間の戦闘は激しかったが、宣言の翌日、シリア、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトがイスラエルを攻撃した。(=第一次中東戦争)
5 1949年の停戦時における領土
*イスラエル=地域のほとんどを支配する。
*ヨルダン=「ヨルダン川西岸」と呼ばれるようになった地域を支配する。
*エジプト=「ガザ地区」を支配する。
*エルサレムは、西側をイスラエル、東側をヨルダンが支配した。
*停戦時に和平協定がなかったため、その後も戦闘・戦争は起こった。
6 その後の戦争(第二次~四次中東戦争)や条約等について
*イスラエルは1956、67、73年と周辺アラブ諸国と三度にわたり戦争する。
*67年の第三次中東戦争で、東エルサレムやヨルダン川西岸やガザ地区などを占領した。
*イスラエルは79年にエジプトと、94年にヨルダンと平和条約を締結した。
*2020年には、UAE、バーレーン、スーダン、モロッコと国交正常化に合意する。
7 イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)
*93年、両者は相互承認を行い、暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名する。
*その後、合意に基づき、ヨルダン川西岸とガザ地区ではパレスチナ自治政府による自治が開始された。
超々概略でもかなり複雑で、まとめ方が拙くて失礼しました。
次回は、オスロ合意から現在までの予定です。
蛇足
*オスロ合意が93年で、ハマスの設立がそれより以前の87年ということで、すでにきな臭いですね。
*英と仏のサイクス・ピコ協定は割愛しました。