GHQによる日本分割占領計画の舞台裏 ~ 前回よりも少し詳しく見ていきます

少し前にアップした「日本分割案」の記事が以外にも好評で、常連さんからコメントなどいただき、大いに感謝している次第。
気をよくして、今回は第二弾。

◎そもそもの始まりは?
日米開戦は、1941年12月。
その十か月後には、アメリカは戦後の日本占領計画をどのように進めるかを討議し始めていた。
米国側はすでにこの時期から、100%勝利を確信していたのである。

思えば、1942年6月のミッドウェー海戦において、日本は大敗を喫している。
米にしてみれば、この海上決戦の勝利を受けて、当然のように占領計画の策定へと動いたのであろう。

◎戦後の天皇に関する議論の決着点は?
天皇及び天皇制について米が最大の関心を寄せたのは以下の点である。

*開戦にあたって天皇に主導権があったのか
*天皇は軍部に利用されただけなのか
*戦後の天皇制を維持するか、廃止するか

米の戦後計画委員会のなかで、活発な意見が出された。
その中で、天皇制を維持して利用し、日本を間接統治する方法は「ソフトピース」と呼ばれた。
一方、天皇制を廃止して直接統治する方向を「ハードピース」と名付けていた。

*結論が出たのは、1944年5月

現在の日本を見れば、わかるように、「天皇制存続による間接統治=ソフトピース」が採用された。
この決定に至ったのは、米国務省の下部の知日派が高官の意見を抑える働きをしたことが大きいとされる。
委員会内の日本専門家が、「天皇は軍部に利用されただけだ」「天皇制を残し、間接統治した方が得策だ」と主張したと伝えられる。

もちろん、それ以外にも様々な要素が絡み合っての最終結論だが、詳細はまたの機会としたい。

◎日本占領統治を巡る米ソの思惑と動きは?

*1945年5月28日(すでに、ドイツは5月7日に降伏)クレムリンにてスターリンと米特使ホプキンスが会見
その内容は以下のようなものである。

・ソ連陸軍が、8月8日までに満州の戦略地点に展開する予定であること。
⇒対日参戦の準備が整ったことを意味する。

・ソ連は日本の占領に参加することを希望し、占領地域について米英と協議したい意向を持つ。

*米国による状況分析

・対日参戦した小国(仏、蘭、フィリピン、ニュージーランドなど)には占領に参加する能力は無く、仮に担当した場合にはアメリカが装備や輸送で援助しなければならない。
従って、不可。

・支那は戦後、蒋介石軍と毛沢東軍が内戦を起こす可能性があるため、参加は不可能であろう。

・イギリスは参加する資格・能力がある。

・ソビエトに対する米の態度には相反する二つの核があった。
ソ連軍の協力がなければ、対日勝利を確実にするのは困難である一方で、ソビエトが日本の降伏に大きく貢献すると発言力が強くなり、占領政策において米がイニチアチブを握るのに不都合であるからだ。

もう少しだけ情報を追加すると、米のルーズベルトとトルーマンという二人の大統領の異なる大局観も関係している。
ルーズベルト大統領は戦中にソビエトとの協調路線をとっていたが、1945年4月12日に急逝する。
それを受け、副大統領から大統領に昇任したのがトルーマンであった。

従って、トルーマンにとっては日々変化する情勢の中で前任者の路線をそのまま継承すべきか、また、できるのかという疑問に自分の答えを出す必要があった。

◎おわりに
細かすぎることをかなり省いたつもりだが、少し煩雑になってしまい、後悔。
次回で完結の予定なので、ご容赦のほどを。