数年前、ブックオフで購入し、ツンドク状態だった文庫本がある。
野口晴哉『整体入門』(ちくま文庫)というもので、最近になって少しばかり目を通してみた。
この野口晴哉(のぐちはるちか 1911~1976)氏は、いわゆる整体の世界では超ビッグネームだそうだ。
というか、そもそも「整体」という言葉は、野口による造語だとする説が有力らしい。
当ブログは、全くの門外漢であるから、整体の「せ」の字もわからない。
ただ、野口氏の『整体入門』に触れて、感じたことを今回記事にしたいと思う。
素人ゆえの事実誤認等があれば、すみやかに訂正させていただく。
タイトルの『整体入門』から想像できるように、十数種類の整体体操を始め、「目の疲れ」「腕の疲れ」「飲み過ぎ」「食べ過ぎ」等の具体的な事例に対処する体操や方法が紹介されている。
しかし、その体操よりも印象的なものが、野口氏の提唱する独特の呼吸法(?)だ。
著書『整体入門』から、「合掌行気法」と「背骨への行気」という修行法(?)の内容を以下に記す。
*合唱行気法
合掌して指から手掌(てのひら)へ息を吸い込んで吐く。その合掌した手で呼吸する。
以上が、野口氏言うところの「合掌行気法」の説明だ。
氏によると、これを行うと手掌が暖かくなり、熱くなり、ムズムズしたりするという。
さらに、そのまま呼吸を続けると、手掌がだんだん広がって室中いっぱいになり、「天地一指」という感じになると氏は解説する。
常連の皆さん、ここまで読んできて、どんな感じがしますか。
この後、野口氏の説明には、しきりに「気」が登場するんですよ。
以下に、「気」に言及している文を少し抜粋してみると
⇒手掌に「気」が集まると手掌が呼吸していることが判ります
⇒これが感じるようになれば、胸でもお腹でも手掌を近づけると「気」を感じます
⇒その「気」の熱いのは、その部分の体の働きすぎ、つまり過敏状態
⇒「気」が適(あ)えば離れていても感じるし、適わねば隣にいても感じない。「気」とはそういうものです
確かに、「気」は誰もが知る一種のキーワードだけど、それにしても、野口氏は頻繁に使用しているとの印象を受ける。
また、「気」という言葉・概念は非常に広範な文脈で使われる、定義づけが困難なものでもあるので、「気の正体とは?」に対する回答は人それぞれになりそうだが、、、、
*背骨への行気
さて、この「背骨への行気」というのが、素人の私には全くピンと来ない。
その説明部分を同書より、正確に引用する。
⇒「疲労したり、体力の喚(よ)び起こしを必要とする時は、背骨へ気を通す。その方法は背骨で息をすること。背骨に息が通ると汗が出てくる。背骨の硬いところは通りにくいが、通ると「可動性」が出てくる。息を通すつもりだけでも、やっていると息が通ることが判る。その方法は、ただ背骨で息をすること。方法は簡単だが、精神が統一すると体の力はいっせいに発動する」
う~ん、ブログ主が未熟なせいか、「背骨で息をする」と言われても、、、皆目つかみどころがない!
常連の皆さんはどうですか~?!
なんだかな~、としか当方には言いようがない。
野口氏の勧める「整体体操」の場合は、説明文に動作写真も付いているから、実際に行いやすそうだが、、、
ただ、前述のように、世間一般に「整体」という言葉を広めた人物が野口晴哉氏だとのことだから、斯界の第一人者だったのであろう。
調べると、昭和31年に野口氏は整体協会を設立し、当時の文部省から社団法人として認可を受けている。
さらには、平成25年4月、内閣府より公益社団法人として認定された。
日本国内に、数か所の道場があるようだ。
信奉者も多いと聞く。
そういえば、今東光大僧正が何かの折に、ある整体師を褒めていた文章を読んだ記憶がかすかにある。
もしかしたら、その人物が野口氏かもしれない。
ちょっと、その出どころを探してみよう。
ということで、野口整体については、第二弾の記事を作成する可能性もあり。
いずれにせよ、トーシローのブログ主には、「合掌行気法」も「背骨への行気」も実践不可能というのが現状である。
ん、待てよ、磯貝老師なら朝飯前かもしれない。
もし、常連の皆さんの中に「野口整体」について詳しい人がいたら、ご教授ください。