小ネタいろいろ(地名、歴史、日本神話、トンデモ説などなど)

◎京都には難読地名が多い。

*先斗町(ぽんとちょう)
この読み方の由来は、なんとポルトガル語が関係すると説くのが有力のようだ。
ポルトガル語で「先」が「ポント」となるらしい。
要は、意味を汲んだうえでの当て字だという。

先斗町は、江戸時代初期の鴨川改修工事で、河原にできた堤の先端にあたる。
そこから、「先=ポント」で先斗町を名付けたというのだが、、、、

ただ、語源の専門家ではないので、あくまで有力な説として紹介したい。
誤認であれば、すぐに訂正する。

*本来は難読だが、有名過ぎて誰もが知っている太秦(うずまさ)

太秦は日本史の授業で必ず登場する地名であるから、ほとんどの日本人は読むことができる。
しかし、なぜ、「太」と「秦」を合わせたものが、「うずまさ」と発音されるのか。

専門家の解説を紹介する。
雄略天皇の時代に、秦(はた)氏の祖先である秦酒公(はたのさけのきみ)が絹をうず高く積み上げて朝廷に献上した。
このことから、「兎受麻佐 うずまさ」の姓を賜ったという。

この「うずまさ」を当て字で「太秦」としたのが由来らしい。
原意とは関係なく、秦氏の「秦」に「大いなる」を意味する「太」を付けたものだという。
自ら、「秦氏は偉大である」とアピールしたのであろうか。

また、「太」は「拠点」の意味だと指摘する人もいて、「太秦」は「秦氏の本拠地」の含意だとの説明もある。
さらには、トンデモ学説(?)として、そもそも秦氏はユダヤ系であり、ヘブライ語の「ウツァ・マシャ=処刑されたメシア=キリスト」が日本語で「うずまさ」と発音されたのだ、とする解釈も目にしたことがあるが、、、、
はてさて、真相はいかに。

◎雄略天皇に関する小ネタ

前項の「太秦」がらみで登場した雄略天皇は第二十一代の天皇である。
この天皇が詠んだ歌が、なんと、我が国最古の歌集『万葉集』の巻頭を飾っているのを御存じか。

⇒「籠(こ)もよみ み籠持ち 掘串(ふくし)もよみ 掘串持ち この岡に 菜摘ます児(こ) 家告(の)らな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居(お)れしきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも」

この御製歌は、天皇が野原で菜を摘む乙女を見て、求婚する歌である。
大雑把な現代語訳は以下の通り

⇒「立派な籠を持ち、立派なヘラを持って、この岡で春の菜を摘んでおられるお嬢さん。家はどちらですか、名前を教えてくれませんか。この大和の国は私が治めております。私の方からあなたに告げましょう、家も名前も」

当時、男性が女性の名前を尋ねるということは、求婚を意味していたという。
さすが、雄略天皇、初対面の乙女にいきなりプロポーズとは!

◎では、和歌つながりで、スサノオの和歌を紹介

八岐大蛇を退治した須佐之男命(スサノオノミコト)はクシナダ姫と結婚して、出雲の清地(すが 須賀)に宮殿を建てる。
ここで、清地(すが)だけに、「自分の心がすがすがしい」と言って、以下の歌を詠んだ。
(というか、スサノオの気分が「すがすがしい」から地名が「すが」になったという)

⇒「八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を」

多くの専門家が様々な現代語訳を作成しているが、大体、以下の様な意味であろう。

⇒「雲が何重にも立ち上がる、この出雲の地で私は妻を得て、宮殿を建てる。妻のために、宮殿の周りに幾重にも垣根を造ろう」

このスサノオ作の歌が、実は日本最古の和歌だと見なされている。
荒々しいだけの神ではなかったのだ、須佐之男命は。

◎おわりに

今回は、小ネタを少々。
太秦のところで触れた「秦氏=ユダヤ系」説はわりと人気があるようだ。
それだけ謎の氏族だということだろうか?
また、何かの折に、少し調べて記事にするかもしれない。