最近、『古事記』の内容を紹介しながら、日本の神々の大らかさを示す逸話を記事にした。
今回は、唯一神がいかに怖ろしいシロモノかを見ていきたい。
以下に、『旧約聖書』から八百万の神々とは全く異なる、唯一神の不気味さ・魔物性・危険性を物語る話を挙げていく。
*人間に罠を仕掛ける神
アダムとイブの物語は有名だ。
神から「決して食べるな」と警告されていた禁断の果実を、蛇にそそのかされたとはいえ、口にしてしまった二人。
神は、自分の言葉に従わなかったアダムとイブを楽園から追放する。
でも、「ちょっと待てよ」と言いたくなる。
じゃあ、神よ、なんで禁断の果実を、そもそもアンタは造ったんだよ!
本心では、二人がこっそり食べることを予期していて、トラップを仕掛けたんじゃないの?
意地が悪いよ~、と感じるのは私だけだろうか。
*気に食わない人間は大量虐殺する神
次も、誰でも知っているノアの箱舟の話。
人間が増えるにつれて、地上は人の悪行のせいで乱れていった。
そこで、神は一度、リセットしようと考える。
神のセリフを『旧約聖書』の「創世記」より引用しよう(訳は日本聖書協会の「新共同訳」による)。
⇒「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐいさろう。人だけではなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」
神は自分に従う無垢なノアと三人の息子と、雌雄のつがいの家畜や鳥や動物だけは救うことにする。
そして、ノアに箱舟を造るように指示する。
その後の展開は、周知のとおり、神が四十日四十夜地上に雨を降らせて、すべての生き物を地の面から「ぬぐいさった」とさ。
要は、箱舟に乗った人間と動物以外は、なにもかも洪水で虐殺したわけだ。
自分が造ったものだから、自分が好きな時にいつでも壊すことができる、といった感じか。
神にとっては、人も動物も、なんだか「モノ」みたいな感覚なのだろうか、、、
多くの生命を自分の気分一つで消し去ることのできる唯一神の不気味さ・残酷性に戦慄するのは私だけか。
*人間の思い上がりは絶対に許さない神
人間を地上から消し去った大洪水から時は流れ、神が救ったノア一家からやがて子孫が生まれ、各地へ流れて、、、、
やがて、人間は、再度地上に満ちはじめ、町をつくり繁栄する。
当時、人は皆、同じ言葉を話していた。
シンアルという繁栄を誇る地で、人々は天まで届くような高い塔を建てようとするが、これが神の怒りに触れてしまう。
神の心境を「創世記」から引用する。
⇒「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」
そして、神は地上に下っていき、人間の言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられないようにしてしまった。
世界に、数多くの言語が存在するのは、『旧約聖書』に言わせれば、神の仕業なのである。
『旧約聖書』の編者にとって、言語の多様性は「神の業」と解釈するしか説明がつかなかったのだろうか。
それにしても、高層建築が気にくわないからという理由で一種の罰を与えるとは、、、、
心の狭い神ですこと。
*自分への忠誠心を試すためにアブラハムに息子を生贄として捧げろ、と命令する神
ノアから十世代の後、アブラハムが誕生する。
このアブラハムは、神に対して篤い信仰を持っていた。
アブラハムが百歳の時に、老妻サラとの間に息子が生まれ、イサクと名付けた。
さて、神はアブラハムに冷酷無比な命令をする。
ここも、新共同訳から引用しよう。
⇒「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリアの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」
本音を言わせてもらうと、とてもじゃないが信仰する気などおきないよ!
父親に愛する息子を殺して、自分に捧げろと命令する神など!
ところが、この無理難題にアブラハムは一切の迷いもなく、刃物を手に取って、息子イサクを殺そうとする。
と、その瞬間、神の使いがアブラハムに語りかける。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、わかったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」(⇐これも、新共同訳による)
始めて、このエピソードを『旧約聖書』で読んだ時、恐怖とも当惑とも唖然とも表現できない、一種異様な感覚に襲われたものだ。
一体、ユダヤ教・キリスト教の「神」とは何者?
理解不能の「魔物」としか言いようがない。
ユダヤ教徒やキリスト教徒はこの一節をどのように感じているのか。
*つくづく、「唯一神」とは摩訶不思議な存在
今回、『旧約聖書』の世界から、日本の神々とは完全に一線を画する一神教の「神」について少しだけ紹介した。
人間に罠を仕掛ける、自分が創造した世界を気分次第でリセットする、態度のデカい人間は許さない、信仰心を試すために父親に息子の殺害を命じる等々、、、
これに比べたら、素戔嗚尊(スサノオノミコト)なんてかわいいもの。
せいぜい、田んぼを荒らしたり、神殿に糞をまき散らしたり、馬の皮をはいで機織り小屋に投げ入れる程度。
まあ、生皮を剥がれた馬を見て、驚き慌てた機織り女が機織り機の尖った部分で、陰部を突いて死んでしまったが、、、
それに、スサノオには怪物・ヤマタノオロチを倒すというヒーローとしての側面もある。
乱暴者だが、勇者でもある。
とにかく、日本の神々は人間臭い。
アメノウズメに至っては、胸も陰部もさらけ出して、、、、
当記事では、この程度にしておくが、『旧約聖書』は唯一神に関する強烈な物語を数々提供している。
また、機会をみて、取り上げたいと思う。