昭和の文士はつくづく教養がある! ~ 柴田錬三郎氏の場合

先日、実家の本棚を眺めていたら、柴田錬三郎『どうでもいい事ばかり』が目に留まった。
今の若い人には、「柴田錬三郎」と言っても「誰、その人?」という反応しか返ってこないかもしれない。

もっとも、『眠狂四郎』の作者だと告げたら「あ、それなら聞いたことがあるかも」と答える十代・二十代もいるのではなかろうか。
あの田村正和の最後の主演作品が『眠狂四郎 The Final』(2018年)だから。

しかし、田村正和といえば、『古畑任三郎』を思い浮かべる層の方が圧倒的多数派かな?

柴田氏は、この『どうでもいい事ばかり』で田村正和を俳優として高く評価している。
そして、田村が頑固なまでに自分の姿勢を保っている点を柴田氏は買い、『眠狂四郎』に起用したと語っている。
柴田氏が言うところの「俳優の姿勢」とは、一つの役にのめり込み、すべてを賭ける態度と私生活をメディアにさらさない意志を持つことのようだ。

同書から、田村とは正反対の俳優、つまり、柴田氏が嫌いなタイプの役者像を引用してみる。
柴田氏の毒舌を楽しんでもらいたい。

⇒「そういう俳優に限って、平気で、私生活を、女性週刊誌や芸能週刊誌に、写真や記事にさせて、目下売れている、と錯覚を起して、得意になっている。
結婚して、女房が妊娠すると、ふくらんだその腹を、撫でている写真をとらせている無神経さは、すなわち、頭脳の足りなさを証明しているようなものではないのか。
そんな痴呆的なまねまでして、名前を忘れられまいとしていること自体、自分の俳優生命を短くしていることに、どうして気がつかないのか (中略) こういうオッチョコチョイの俳優に、人間としての生長は、皆無である」

いや~、素晴らしい、柴田氏の率直な物言いは最高!
話は変わって、今年のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の主人公は蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。
最初にこのニュース見た時に、「え、蔦重を知ってる人って少ないよな~」とビックリ。

個人的には、今東光大僧正や柴田錬三郎さんのエッセイ等で少々、馴染みはあるが、かなりマイナーな存在だと思う。
それでは、柴田氏(以下、愛称の「シバレン」を使います)の同書から、蔦重関連の小ネタを一つ。

*日本で最初に原稿料をもらったのは、山東京伝。
蔦屋重三郎から出版した『娼好絹篩』という小説で、原稿料は二両二分だった。

ネットもスマホもない昭和の時代に、サラッとこんな蘊蓄をエッセイに挟み込む教養。
シバレン氏の読書量は半端ない。
では、もう少し、『どうでもいい事ばかり』から、その時代のトリビアを紹介。

*当時、江戸一流の料亭「八百善」の茶漬けが一両二分。
*これから、原稿料がいかに安かったかがわかる。
*しかも、印税のない時代だから、作者は原稿料だけでまかなった。
*さらに昔の、原稿料自体も無かったころは、小説がベストセラーになると、出版元が作者を吉原もしくは芝居小屋に招待する程度の接待と紋付の羽織を贈ったぐらい。

時代小説の作家だから、江戸時代に詳しいのは当然だとか、今のネット民は言いそうだが。
ところが、シバレン氏は支那に関しても知識が豊富なんてものじゃない。
姓名判断を全く信用していないシバレン氏は、その根拠に、秦の始皇帝にからむ逸話を引き合いに出す。

*秦の始皇帝に、権威ある占い師が「秦を滅ぼすものは、胡であります」と告げたので、皇帝は胡(=エビス=匈奴)の襲来を防ぐために万里の長城を築いた。
*ところが、実際に、秦を滅亡させたのは、息子の胡亥(こがい)であった。
*そして、この「胡亥」という名は始皇帝が別の高名な占者に命じて、最も幸運な名前を選ばせた結果だったのだ。
*つまり、姓名判断などデタラメだ。

日本、支那と来たので、お次は西洋に行きますか。
かの有名なピカソに関するエピソード。

*ピカソは、居間に大きな籠を置き、その中に世界各国の紙幣を山のように盛っていた。
*知人が来ると、必ず、その居間に通すので、お札の山を見た知り合いは、ついつい手を出して触れたくなる。
*その瞬間、紙幣に触ろうとするその手を、ピカソがピシャリと叩いて「さわるな!」と怒鳴った。
*なんとも生臭いふるまいだが、シバレン氏に言わせると、これはピカソの「老齢との壮烈な闘い」だという。

おそらくは、数十年ぶりに手にした、この『どうでもいい事ばかり』の内容は、私の目には新鮮である、今もって。
生涯に、一体、どれだけの書籍に触れたら、シバレン氏のようになれるのだろうか。
昭和の文士は、つくづく、教養がある。

そのシバレン氏が、同時代人で「こいつにはかなわん」と思い知らされた唯一の存在が、中島敦。
そう、あの『山月記』の作者。
先輩作家では、今東光大僧正や川端康成の博識を絶賛している。

その今大僧正は、師である谷崎潤一郎を始め、森鴎外や幸田露伴を尊敬している。
明治、大正、昭和の文人は凄かったようだ。

当記事では、どちらかと言えば、雑学的な例しか出さなかった。
もちろん、シバレン氏の漢文の素養がいかに凄いかを物語るエピソードもあるのだが、、、
またの機会に譲るとして、今回は、この辺にしておきたい。