このシリーズも今回で3回目となった。
モンゴル生まれで日本に帰化した楊教授の本には、一部の日本人に観察される「China 崇拝」が皆無であり、むしろモンゴル人のChina に対する優越感が窺えて、興味深い。
また、多くの日本人が知らない事実に触れることが出来、勉強になる。
今回も、いくつか紹介したい。
◎ 漢人は明治維新に憧れていた。
19世紀、China は西洋列強の脅威にさらされる。
特に、アヘン戦争ではイギリスに敗れ、香港を奪われた。
一方、日本は様々な危機を乗り越えて、明治維新により独立を守り、近代国家へと変貌する。
その日本に日清戦争で破れた清は、勝者に学ぼうと考えて、多くの優れた人材を日本に留学させた。
我が国は明治維新で徳川幕府は倒れたが、皇室は残り、大日本帝国の君主として天皇が君臨した。
清朝は、日本と同様に立憲君主制を採用し、清朝帝室を残すことが最上策ではないかと考る。
その流れの中で、清は日本の有力な政治家を自国のブレーンとして招こうと画策したという。
その時に清から白羽の矢が立ったのが、伊藤博文。
伊藤が、1898年9月に清国に視察に出かけた際に、清の第十一代皇帝の光諸帝に謁見した。
当時の清は、日清戦争敗戦後に近代化を図ろうとしており、光諸帝は伊藤に内々に「自分のブレーンになって欲しい」と打診した。
伊藤博文は「臣伊藤は異国人ですから、皇帝の側近にはなれません」と断ったという。
この逸話は今回、初めて知った。
◎ モンゴル人から見た孔子・『論語』・朱子学
それにしても、いつかも書いたように、「支那」が一発で出てこないため、今回は「China」を使ってみたが、これも文字入力変換が必要で、煩雑だ。
本当に、我国の中国地方の方々には申し訳ないが、ここからは「支那」を「中国」で表すことにしたい。
誠に、忸怩たる思いである。
さて、モンゴル生まれの楊教授は、日本人の中国崇拝、中国人崇拝が不思議でならないと言う。
例えば、一部の日本人に大人気の孔子や『論語』について、モンゴル人の観点から以下のように書いている。
「孔子も、中国にまずいない理想の人間を語ったにすぎない。中国が君子ばかりなら誰も苦労しない。(中略)孔子の『論語』の教えに触れて、日頃の言動を省みたり、自分も君子になろうと考えたりするのは、世界中を見渡しても、日本人ぐらいではないか。同時に日本人が勘違いしているのは、孔子の時代はよかった、という見方である」
孔子や『論語』大好き日本人に、読ませてやりたい指摘である。
そもそも、孔子とは、当時の現実に失望し、自分の言説が理解されないことを嘆きつつ、将来の理想像を追い求めた人物にすぎないのである、キツイ言い方をすると。
次に、朱子学について。
我国では、朱子学は江戸幕府の官学であり、連想ゲームならば、すぐに「林羅山」と答えたくなるところ。
その批判から、陽明学が生まれ、、、、、などと続けると、今回の趣旨からズレてくるので、楊教授の視点を紹介する。
楊教授に言わせると、朱子学とは「負け惜しみの思想」らしい。
教授の著書から引用する。
⇒「朱子学は12世紀に南宋の朱熹(しゅき)が儒教の新しい学問体系として構築した。13世紀に元が宋王朝を倒して中国を統治すると、朱子学の学者たちは、『元は暴力で宋王朝を倒したから、元の皇帝はじめ支配者たちには徳がない。徳がない政治には従わなくてもいい』と反発しだした。ケンカが強いだけで徳を知らないモンゴル人は野蛮であり、徳を重んじる漢人のほうがはるかに優秀だという「負け惜しみ」は元の時代に広まった」
⇒「宋は国力が弱く、モンゴル系の契丹や満州系の金と軍事的に対抗できなかった。契丹や金と戦って五胡十六国の再来を招くことを恐れたがゆえに、金によって南に追われて南宋を建国したとき、『自分たちは野蛮人と異なり戦いには興味がないが、代わりに文化がある。それゆえに強い』という一種の自己満足、言い換えれば負け惜しみの思想として朱子学が誕生した」
なんとまあ、日本人、特に江戸時代の学者とは、全く異なる見方である。
しかし、舶来学問として儒教を有難がって受容した日本人と、かつては中国全土を征服し、世界最大の領土を誇ったモンゴル帝国の末裔とでは、朱子学に対するとらえ方が天と地ほどの差があるのも不思議ではない。
楊教授の説明では、中国人の「負け惜しみ」思想が、異民族に対する憎しみや政治的憎悪に変貌していく、とある。
これに、関しては、また別の機会にでも触れたいと思う。
では、最後に日本人学者による儒教批判、特に「徳」についての見解をみてみたい。
本来ならば、本人の言葉をそのまま引用した方がいいのだろうが、戦前の文章であり、やや古めかしく、堅苦しい言い回しが用いられているので、当ブログが内容を整理して、現代風の日本語に改めてみた。
⇒儒教は最も重要な点で、日本固有の思想とは相性がよろしくない。
それは、主権者についての考えかたと主権の基礎についての考え方である。
儒教では、天は罪のある者を倒して、徳がある者が君主となる、と説いている。
これは、合理的のようでいて、実際には多くの不都合が生じる。
なぜなら、人に徳があるか、無いかを厳密に判断したり、異なる人々の間で徳に優劣をつけるための判定基準などは、この世に存在しないからだ。
要は、儒教の「徳」など、あやふやな観念にすぎないと言いたいのだろう。
この日本人学者のことも、いつか記事にするかもしれない。
ありがたいことに、この「モンゴル人から見た支那」シリーズは、わりと好評のようです。
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