硫黄島に散ったバロン西と戦後日本の守護神、栗林中将

栗林中将の記事を読んでくれた磯貝と岡谷から、「もう少し詳しく、硫黄島の戦いについて記述して欲しい」との要望(=お叱り)があった。
早速、反応してくれた朋友二人の依頼に回答したい。

さて、2024年のパリ五輪で、日本は総合馬術団体で銅メダルを獲得した。
日本が馬術でメダルを獲ったのは、1932年のロスアンゼルス大会において、個人で金メダルに輝いた西竹一大佐の偉業から、実に92年ぶりのことである。

◎ 西 竹一(にし たけいち 1902~1945年)大佐とは

硫黄島の死闘で命を落とした殉国戦士の中でも、国内外で非常に有名だったのが西竹一陸軍大佐である。
前述の通り、1932年のロスアンゼルス・オリンピックの金メダリスト。
馬術障害飛越競技において個人で金に輝いており、五輪史上、馬術部門での唯一の日本人ゴールドメダリストだ。

本記事の「バロン西」とは西大佐の愛称。
裕福な男爵家に生まれ、10歳で家督を相続した。
硫黄島の戦いには、戦車第二十六連隊を率いて参加している。

当時の日本軍戦車(九十七式、九十五式)は米軍のM4シャーマン戦車に火力、装甲ともに劣っていた。
栗林中将の意向もあり、西大佐は戦車本来の機動戦で敵戦車を迎え撃つのではなく、防御兵器として用いることに徹した。
掩体壕を各所に設け、戦車を地下に隠しながら、進撃する敵の不意を突いて砲撃。
逆襲されないうちに、次の豪に移動し、機を見ては地上に出て、米海兵隊に攻撃を加えて大いに苦しめた。

しかし、アメリカ軍の圧倒的な物量作戦に次第におされ、西部隊の戦車は徐々に失われていく。
2月末には、戦車の8割が破壊され、3月上旬には自走可能の戦車はゼロとなった。
それでも、西部隊は動けない戦車の周りを土嚢で囲み、一種のトーチカとして使用し、あくまで必死の戦闘を継続。
最終的には、戦車を全て失い、約1000名の連隊も数十名までに激減する。

西大佐は、残存兵わずか60名ほどを率いて、白兵戦を展開する。
3月17日に、西部隊は後方との連絡が取れなくなった。
バロン西の最後については、諸説ある。
敵弾に倒れたとも、北部断崖で自決したとも言われている。

◎ 改めて、栗林中将の凄さについて

前回の記事でも紹介したように、栗林中将は、あくまで「持久戦」にこだわり、徹底抗戦して米軍を苦しめた。
実は、それまでの日本軍の島嶼戦においては、「水際撃滅作戦」が採用されていた。

*水際撃滅作戦とは
海岸に火砲を備え、地雷・機雷・鉄条網などを敷設し、水際陣地を構築、敵の上陸用舟艇に砲撃を加え、敵兵を銃撃するというもの。
要は、戦力の大部分を海岸線に集中配備し、運用する戦法。
しかし、実際には、米軍艦艇の艦砲射撃や空母艦載機による空襲で、日本軍の築いた海岸陣地が破壊されることが多かった。

つまり、日本陸軍の十八番である「水際作戦」は大きな成果を上げることができなかったのである。

*栗林中将の作戦を中将自身の言葉で
従来の戦術・戦法を180度変えることは、尋常の人物にはできることではない。
栗林中将がいかに柔軟かつ合理的な頭脳の持ち主であったかの証左だろう。
以下に、中将自身の言葉を

「擂鉢山、元山地区に強固な複郭拠点を編成し持久を図ると共に強力な予備隊を保有し、敵来攻の場合、一旦上陸を許し、敵が第一飛行場に進出後出撃してこれを海方面に圧迫撃滅する」

*将兵に具体的な指示を行う
往々にして、日本陸軍の指揮官は難しい言い回しを使って、指示をした。
これに反して、栗林中将は、わかりやすい表現で、実践的な「戦闘心得」を作成して、兵士に配布している。
いくつか以下に挙げてみる。

⇒演習のように無暗に突っ込むな 打ちのめした隙に乗ぜよ 他の散弾に気を付けて
⇒広くまばらに疎開して 指揮掌握は難しい 進んで幹部に握られよ
⇒一人の強さが勝の因 苦戦に砕けて死を急ぐなよ膽(=肝)の兵

上記の三つの指示を読むと、ついブログ主は支那とビルマで戦った祖父の言葉を思い出す。
幼い私に、祖父は時折、戦場を懐かしむかのように語っていた。

「あのな、臆病者ほど、すぐ突撃したがる。そして、敵から打たれて死ぬ」
「辛抱できずに、先に発砲すると、敵に自分の位置を知られてしまうからな。用心、用心」
「いいか、戦場では、弾が前から飛んでくるとは限らんぞ。よく、覚えておけ」

この記事は我が祖父を紹介するものではないので、この辺にしておこう。

◎ 硫黄島守備隊が戦後日本の守護神

前回の記事でも書いたように、硫黄島の死闘が日本の戦後に多大な影響を与えている。
もちろん、この「影響」とは絶大な「恩恵」のことだ。
この点に関しては、未読の方々は、ぜひ前編を読んでいただきたい。

硫黄島守備隊の英霊のおかげで、今日の日本がある。
かの小島で命を落とされた、19900名の日本軍将兵の一人一人が、戦後日本の守護神である!
この事実を多くの日本人に知ってもらいたい。

最後に、栗林中将、西大佐をはじめとして、硫黄島守備隊の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。