大東亜戦争・国内最後の地上戦 ~ 南樺太と千島列島における日ソ戦争

先日、大東亜戦争の最終局面における日ソ戦争の記事で、満州の戦闘を中心に内容を構成した。
今回は、南樺太と千島列島へ侵攻したソ連軍と日本軍の戦いについて少し紹介したい。

周知の通り、大東亜戦争中に日本とソ連は「日ソ中立条約」を結んでいた。
この条約は、昭和21年の春まで有効のはずであったのだが、、、、
昭和20年8月に、ソ連が一方的に条約を破棄して、日本に牙をむいたのだ。

その背景には、昭和20年2月のヤルタ秘密協定がある。
米のローズベルト、英のチャーチル、ソ連のスターリンの三者が密かに自国の利益のみを考えて企んだものだ。
秘密協定は、ドイツ降伏後に日本に参戦することを条件に、ソ連に以下の項目を承認した。

*サハリン島(=樺太)の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソビエト連邦に返還されること
*千島列島がソビエト連邦に引き渡されること

上記の条件に満足したソ連は、対日参戦の準備を進めていく。
そして、、、、、

◎ ソ連の樺太侵攻

昭和20年8月11日、ソ連軍は国境を越えて侵入する。
約35000人のソビエト部隊を迎え撃つのは、約20000名の日本軍であった。
強力な戦車を擁する敵軍に、日本軍は重機関銃で激しく抵抗したり、爆弾を抱えて肉弾戦を挑む。

当初、ソ連の第二極東方面軍は8月12日までに、南サハリン(樺太)から日本人を一掃する計画を立てていた。
しかし、日本軍の頑強な反撃を受け、15日以降も戦闘は続いた。

日本の大本営は、8月16日に南樺太で奮戦中の日本部隊に条件付きの戦闘停止命令を出した。
これは、正式に停戦が成立するまでは、自衛のための戦闘行為は妨げないというものであった。

8月18日に、日本軍は即時停戦と非武装地帯の設定を求めて、ソ連側に軍使を送る。
ソ連側はこれを拒絶する。
19日と20日にも、両者の会談が設定されたが、停戦交渉はまとまらなかった。

ようやく、8月22日に東海岸の知取(しるとる 現マカロフ)で、ソ連のミハイル・アリモフ少将と日本の鈴木康生大佐による交渉で、停戦が合意。
これを、「知取協定」という。

ところが、卑劣というか悪辣というべきか、ソ連軍は停戦成立後にも、軍用機を出撃させて、機銃掃射や爆撃を日本人に加えた。
このソビエト側の卑怯で不当な攻撃により、日本側には多くの犠牲者が出た。
日本人は、ソ連軍の汚いやり口を未来永劫、忘れてはならない。

◎ 千島列島における戦い(開戦は8月18日)

千島列島の最北端は占守(シュムシュ)島である。
長さは約30キロ、幅が約18キロで、楕円形の島だ。

この北千島を守る日本軍第九十一師団にも、8月15日の玉音放送の内容は伝わっていた。
17日に大本営より、条件付きの戦闘行動停止命令(自衛行動は除く)が北千島防衛隊にも届く。

8月18日、カムチャツカ半島のロパトカ岬から占守島へ向けて砲撃が始まった。
その後、島の北端の竹田浜にソ連軍が上陸を開始する。
日本前線部隊は、すぐに、迎え撃つべく戦闘(自衛活動)を開始した。

実は、ソビエト部隊が上陸した地点は日本軍守備隊が最も堅牢な守りを固めていた場所であり、日本軍の猛砲撃を浴びて敵軍は甚大な被害を出した。
師団長堤中将は、戦車連隊に反撃を命じ、さらには占守島の南にある幌筵(ぱらむしる)島からも、歩兵部隊が応援に駆け付ける。
日ソ間の激闘は、一進一退の様相を呈しながらも、やや日本軍が押し気味で進展し、ソ連軍は島の北端に追いやられた。

しかし、敵の撃滅ではなく「自衛」に重心をおく旨の命令が、日本軍に再度、通知される。
それでも、ソ連側は戦闘を止めない。
そのため、日本側はやや浮足立って、自衛活動に混乱が見られた。

19日になって、停戦交渉が始まったが、まとまらなかった。
その後、21日にようやく停戦が成立する。

*それにしても、当時のソ連はなりふり構わず、千島列島に攻め込んできたものだ。
冷静に考えれば、日本は14日にポツダム宣言を受諾していたのだから、戦闘を回避して交渉することも可能であったはずだが。
とにかく、日本の領土をどさくさに紛れて奪ってやろうと画策したのだろうか、、、、
このソ連の愚策のせいで、占守島攻防戦では、ソ連側の損害の方が日本側を上回っている。

◎ おわりに

大東亜戦争最終局面におけるソビエトの卑劣な行動は現代の日本人にとっては、あまり馴染みのない歴史事実ではないだろうか。
米英と秘密協定を結んだうえで、日本との中立条約を一方的に破って、満州を蹂躙し、南樺太を占領した。
千島列島の占守島に侵攻してきたのは、玉音放送の三日後となる8月18日である。

多くの日本人に、この辺の事情を知ってもらいたい。
大東亜戦争・国内最後の地上戦である「日ソ戦争」において、我々日本人には何ら後ろめたいことも、恥じることもない。
ただ、一方的に侵攻してきたソビエト軍を迎え撃つべく、死力を尽くしただけだ。