フランス革命は流血革命である。
その暗黒面は、世界史上、類例のないほど血にまみれている。
フランスで、1989年に、「フランス革命二百周年」を祝おうという計画が立てられたとき、多くの良識派フランス人から反対意見が出された。
あんな流血を伴った恐怖政治を祝うとはなにごとか!、という極めて常識的・理性的な反論である。
結局、フランス革命そのものではなく、「人権宣言」のみを記念することで決着を見た。
その一方で、日本で識者とか専門家とか言われている能天気な連中はどうだろう。
どいつもこいつも、手放しでフランス革命を礼賛している印象だ。
なぜ、このような珍妙な現象が起こるのか。
主な理由は以下の二つだと思う。
1 日本のほとんどの左翼・リベラルは不勉強だから、フランス革命の暗黒面についてあまり知らない。
2 ごく一部のインテリ左翼・リベラルは不誠実だから、知っていても知らない振りをしている。要は、フランス革命が血まみれの惨事である歴史事実は、連中にとって「不都合な真実」なのだ。
フランスの国歌は、周知のように、「ラ・マルセイエーズ」だ。
フランス国内のみならず、世界中で演奏され、斉唱されている ~ 「自由と解放」の歌として。
さて、フランス国民以外の人びとはこの勇ましい(?)歌の歌詞を知っているのだろうか?
以下に、訳例のひとつを挙げよう。
「起てや祖国の 健児らよ 栄えある日こそ 来たるなれ
われに刃向かう 暴虐の 血染めの旗ぞ ひるがえる
君よ聞かずや 野に山に 敵兵どもの 吠えるのを
わが同胞を 殺さんと 奴らはわれに 迫りくる
いざ武器をとれ 市民たち! 隊伍を組めや いざ行かん!
敵の汚れし 血潮もて わが田の畝を 潤(うるお)さん 」
なんとも怖ろしい内容。
「敵を殺して、その血で祖国の田の畝を潤そう」というのだ!
こんな殺伐とした歌を、ブログ主のような心臓の弱い人間は、声高らかに斉唱できない。
先述した歌詞はほんの一部であり、訳者がやや穏健な表現を使用している傾向がある。
実際は、「敵があなたの妻や子の喉を掻き切る」とか「虎狼ども(=敵や暴君)には情けは無用、奴らの母の胸を引き裂いてやれ」などなど凄惨な内容がこれでもかと言わんばかりに登場。
昨今、良識的なフランス人の多くは、このような陰惨な歌が国歌としてふさわしいのか、と疑問を呈している。
ご存じのように、この歌は、1792年に敵軍を倒すために義勇兵が出陣する際に用い始めた一種の「軍歌」である。
日本の左翼やリベラルは、戦前の日本の軍歌を忌み嫌う。
日本の軍歌にはケチをつけるのに、フランスの軍歌なら気にならないようだ、連中は。
つくづく、不思議な思考回路だ。
いよいよ、フランス革命そのものに触れたい。
フランス革命というと、すぐに「1789年」という年号が頭に浮かびやすい。
例の、パリ民衆による「バスティーユ牢獄襲撃・占領」が印象深いからだ。
しかし、実際の革命の契機は、王権に対する貴族の反乱であった。
当時のフランス国民は、聖職者(第一身分)、貴族(第二身分)、平民(第三身分)という三つに分かれていた。
いわゆる特権階級である貴族が、なぜ、国王に反旗を翻したのか?
当時の聖職者と貴族には、免税特権があった。
その聖域に国王ルイ16世が手をつけようとして、貴族の反発を招いたのだ。
革命前のフランスは、財政破綻に苦しみ、平民の租税負担は限界に達していたために、身分に関係なく「土地上納金」という地租を導入しようとした。
この新税計画に、貴族が大反対したために、王権はすっかり麻痺してしまう。
これが、1787年の出来事であり、フランス革命の序章となる。
今回は、ここまでとしたい。
当然、「その2」に続く予定。
追記
第一弾は、革命の序章なので、あまり血なまぐさい話が出てこない。
その意味では、「タイトルに偽りあり」で、申し訳ない。
ご心配なく。
今後、皆さんがうんざりするほど、「流血」の嵐、「暴虐」の大盤振る舞いとなることは必定。