佐藤優によると、「池上氏も私も現在は特定の党派に所属していないが、基本的には労農派の枠組みが正しいと考えている」とのことだ。
上の引用は、池上彰・佐藤優『激動 日本左翼史』(講談社現代新書)の「はじめに」からの抜粋である。
佐藤優の言葉をもう少し紹介すると、「私は高校二年生から大学二年生まで社会党系の青年組織である日本社会主義青年同盟協会派の同盟員だった」とある。
両氏の著作を読もうとしたのは、今回が初めてだ。
現在、池上・佐藤の共著である『日本左翼史』シリーズに少しずつ目を通している。
さて、今回は、日本における左翼の二大潮流の一つである「労農派」について、ごく簡単に記事にする。
池上・佐藤『真説 日本左翼史』(講談社現代新書)やその他を参考にしながら進めていきたい。
◎ 『労農』とは?
*1927年に創刊された政治雑誌。
*この雑誌の執筆者には、向坂逸郎(さきさか いつろう)、山川均(やまかわ ひとし)、堺利彦(さかい としひこ)などがいた。
◎ 「労農派」とは?
*上記の雑誌『労農』を拠点に活動した、向坂、山川、堺、荒畑寒村、大内兵衛などのグループを「労農派」と呼ぶ。
*向坂、山川、堺らが、後の日本社会党の中心人物となる。
*従って、労農派が日本社会党の理論的支柱となった。
*労農派はもう一つの左派集団である「講座派」と論争(⇒「日本資本主義論争」という)を繰り広げた。
◎ 「講座派」とは?
*岩波書店から出版された『日本資本主義発達史講座』の執筆陣を中心とする左派集団であった。
*野呂栄太郎、山田盛太郎、羽仁五郎などが主だったメンバーである。
*この講座派の考えが、日本共産党の基礎理論となる。
◎ 「日本資本主義論争」とは?
*1930年代前半の日本がどのような状態にあるのかを巡って、労農派と講座派が論争したもの。
*まず、マルクス主義が想定する「社会の発展段階」を以下に示す。
⇒「原始共産制⇒古代奴隷制⇒中世封建社会⇒近代資本主義社会⇒共産主義社会」
上記のように、左から右へと段階的に進んでいくと、マルクス主義は考える。
(ツッコミどころが、いろいろあるが、今回はブログ主の意見は控えたい)
要は、マルクス主義者たちは、この社会の発展段階説を信じた上で、あれこれ論争するのである。
(あ~、コメントしたいが、この記事ではやめておこう)
さて、このマルクス流「社会発展段階説」についての両者の捉え方の違いは
*労農派の場合
⇒日本はすでに、資本主義社会になっていると考えた。
⇒だから、財閥を打倒すれば、日本で社会主義革命が実現すると主張した。
*講座派の場合
⇒明治政府を絶対主義とみなし、日本はまだ半封建社会であるととらえた。
⇒まず、天皇制を人民革命で打倒し、それから資本主義に移行し、十分発達したところで社会主義革命を起こそうと考えた。
⇒これを、「二段階革命論」という。
*このように、二者間で論争しながら、その後
労農派⇒日本社会党へ
講座派⇒日本共産党へとつながっていく流れとなる。
◎ 今回はごく大雑把な見取り図で申し訳ないが、、、
多分、常連の皆様方も、読みながら、「この二派とも、いろいろツッコミどころ満載やな~」と感じていると思う。
そもそも、マルクス主義というか、社会発展段階説じたいが、なんともね~、ハハハ。
今回は、個人的な意見はグッとこらえて、、、
とにかく、冒頭の佐藤の発言からすると、池上彰と佐藤優の両氏は、左翼政党には所属していないが、「労農派」の枠組みが正しいと考えているようだ。
ということは、昔の社会党の考え方に賛同しているということだろうか?
そのあたりは、記述がないので、よくわからない。
ただ、佐藤が、若いころ、実際に社会党系の青年組織のメンバーであったのは本人の語る所である。
今後、両氏の発言を聞く際には、二人とも基本的には左翼的な発想をすることを常に念頭に置いておこうと思う。
まあ、メディアに登場する言論人には左派が多いので、別にどうということはないが。
追記
最初に断っているように、池上と佐藤の思考枠組みが基本的に「労農派」的であることは、佐藤の記述によるものである。
くどいようだが、当ブログの主張ではない。