親鸞は本当に法然の「高弟」だったのか? ~ 親鸞の「経歴盛り」疑惑!

さて、久しぶりの仏教ネタです。
今回は、「親鸞って、もしかして自分のことを大きく見せようとしたのでは?」という疑惑を紹介する内容。
ですから、家の宗旨が浄土真宗の場合、内容にムッとするかもしれませんので、悪しからず。

親鸞本人や浄土真宗教団によれば、親鸞は法然の高弟であったといいます。
ところが、近年の研究では、法然は親鸞をそれほど高く評価していなかったとの説もある様子。
いくつか項目をたてて、それぞれ見ていくことにしましょう。

◎ 親鸞は法然の『選択本願念仏集』を写す権利を与えられたのか?

法然の『選択本願念仏集』は、ご存じのように、ごく限られた人物(=法然の高弟たち)にしか筆写する権利が付与されませんでした。
親鸞は、「自分は写させてもらった」と主張しています。
しかしながら、浄土宗側の資料では、親鸞の名前は挙がっていないのです。
はて、どちらの言い分が正しいのでしょうか?

◎ 『七箇条制誡』への署名の順番を盛ったのでは?

*『七箇条制誡』とは、法然が弟子たちに過激な行動を慎むように戒めたもので、これに弟子たちの署名を求めました。

この『七箇条制誡』には、法然の覚えめでたい高弟たちから順番に署名をしていき、それから一般の弟子、末席のものたちへと繋がっていきます。
全体で190名が名を連ねている中で、当時、「綽空」と名乗っていた親鸞が87番目に登場します。
この順位で「高弟」と言えるでしょうか?

さらに、疑わしいのは、親鸞の『西方指南抄』」に、この『七箇条制誡』のことが触れられていますが、署名者の数が22名で自分は21番目であったと書いているのです。
なんか怪しくないですか、、、普通に考えると。

この辺から、「親鸞、経歴盛った説」が生まれているのです!

◎ 親鸞が流罪になったというのも、疑わしいのでは?

法然が讃岐国に流されたのは、事実であり、複数の資料により証明されています。
また、法然流罪に伴い、法然の高弟たちも各地に流されました。

ところで、浄土真宗教団や複数の研究者が、「法然も流罪にあった」と主張する一方で、一部の専門家はこれに疑いの目を向けています。
否定的な見解を述べる研究家に言わせると、資料の裏付けが取れないとのこと。

素人のブログ主には判断できかねますが、『選択本願念仏集』や『七箇条制誡』に関する疑惑をからめると、「もしかしたら、流罪の件も盛ったかな?」という気がしないでもないです。

皆さんもご存じのように、「宗祖が流罪にあった」という事実は、教団にとっては「箔が付く」というか、宗祖のカリスマ性を高める効果が確実にあります。

例えば、日蓮宗にとって、日蓮が伊豆や佐渡に流されたことは、「元寇」予言とともに、宗祖を絶対視する理由のひとつとして機能しているのですから。

浄土真宗にとっては、「宗祖親鸞は越後に流された」ことが、事実でなくては困るのでしょう。

◎ おわりに

浄土宗側からすると、浄土真宗が「真宗」と名乗っているのも、あまり愉快なことではなさそうです。
ある日本史の専門家が、「法然の教えは、親鸞によって純粋化された」と記述した際に、浄土宗から激しい抗議が来たそうです。
浄土宗側の主張は、「法然の思想は未完成で、それを親鸞が完成させたように書くのはやめてくれ」とのことでした。

この件は、新聞記事にもなったといいます。
もし、自分が浄土宗関係者だったら、やはり心中穏やかではないかもしれません。

さて、今回の記事は、あくまで親鸞にまつわる「疑惑」を取りあげただけです。
浄土真宗関係の皆様、気分を害さないでください。
決して、「事実」と主張しているわけではありませんので。