大東亜戦争にあまり関心が無い人であっても、山本五十六(やまもと いそろく)の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
もちろん、日米開戦時の帝国海軍において連合艦隊司令長官を務めた人物です。
今回は、山本提督についてのエピソードを多少、紹介したいと思います。
◎山本元帥の名前である「五十六 いそろく」の由来は?
⇒提督の父親が56歳の時に生まれた子であったから。
父親の当時の年齢を、そのまま息子の名前に使用したという冗談のような本当の話です。
◎日露戦争で指を二本、失った。
⇒日本海海戦の時、当時、少尉候補生として軍艦「日進」に乗り込んでいた山本五十六。
⇒海戦の最中に、「日進」の主砲が膅発(とうはつ)をおこし、その衝撃で左手の中指と人差し指を根元から吹き飛ばされてしまったのです。
⇒膅発とは、連続射撃で熱し切った砲身がもろくなり、火薬のガスの圧力に耐えられず自爆をおこすこと。
◎勝負事、賭け事に目が無かった。
⇒将棋、囲碁、麻雀、ビリヤード、トランプ、ルーレット等々なんでもござれの人でした。
⇒将棋では、ある友人と約26時間連続で75局ほど対戦したものの、飽きてしまい、別グループの花札勝負にそのまま参加したとの逸話があります。
⇒トランプでは、「ブリッジ」が得意中の得意で、地元の知り合いから腕前を尋ねられた時に、「世界一といいたいところだが、まあ、東洋一はまちがいないね」と自信満々に答えたそうです。
⇒ルーレットに関しては、独自の必勝法を編み出して、実際にほぼ常勝であったとの証言があります。
山本の通訳官が、この「山本システム」を忠実に守り、モナコで勝負して、かなりの額を稼いだと語っています。
◎趣味の一つに和歌があった。
*ちょっとお茶目なもの
⇒「わがものと思へば広し四畳半 あくび大の字勝手放題」
*日本海海戦で指を失い、入院中に詠んだもの
⇒「とどめかしハンカチーフの血痕は 己(おの)が真(まこと)のしるしなりけり」
*アメリカ駐在時代に詠んだもの
⇒「今宵しも月影清く冴えにけり 故郷(ふるさと)遠く偲べとてしか」
⇒「吹雪する外(と)の面(も)さびしくながめつつ 故郷遠く君をしぞ思ふ」
*昭和15年元旦、洋上で詠んだもの
⇒「日の本の海の護(まもり)の長(おさ)として けふの朝日をあふぐかしこさ」
◎家庭においては子煩悩の良き父親であった。
⇒長男とよくキャッチボールをしたそうです。
初めのうちは、左手(指二本が欠損)のために、うまく捕球できないこともあったようですが、、、
しかし、熱心に練習してあっという間に上達しました。
⇒子供たちが何を欲しがっているかを、それとなく把握。
アイスクリームを食べたがっているとわかると、一度に100個も箱買いしたそうです。
キャラメルも、まとめて数ダース買い求め、茶の間にドンと置いて、家族は驚くやら、喜ぶやらで、、、
長男が入院すると、メロン、マンゴー、パパイヤ、さらにはシャーベットまで差し入れるという可愛がり方。
⇒子供を叱ることはほとんどありませんでした。
息子や娘の宿題もよく見てやったといいます。
長男が府立一中時代に、幾何の宿題が解けなくて山本に見せたら、あっという間にスラスラ解いて見せました。
長女が、「ひらがなのもとになった漢字を調べよ」という宿題に困り果てて、山本を頼ると、即座に解答を出すほどの博識さ。
◎おわりに
今回の記事では、山本提督の軍人としての面にはほとんど触れませんでした。
本来なら、真珠湾攻撃とかミッドウェー海戦とかに言及するのがありがちな流れだとは百も承知ではありますが、、、
まあ、ネット上には、山本元帥を賞賛する記事がある一方で、思いっきり批判しているものもあります。
当ブログでも、機会を見て、別の山本像にも迫ってみたいと思っています。
追記
家庭における山本元帥の逸話は、元帥の御長男である山本義正氏の『父・山本五十六』(光文社)を参考にさせていただきました。