昭和20年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、大東亜戦争は終わった。
歴史に「if」はない。
しかし、もし、あの時に日本が降伏していなかったら、どうなっていたのか、、、、
それが、今回の記事である。
もしも日本がポツダム宣言を無視し続けていたら、アメリカは日本本土への侵攻作戦を実行に移していた。
沖縄戦に続く本土攻略作戦は、「ダウンフォール作戦」といわれる。
この作戦は「オリンピック作戦」と「コロネット作戦」という二つの本土進攻計画から構成されていた。
◎オリンピック作戦とは
⇒開始予定日は昭和20年11月1日で、動員兵力は65万人。
⇒鹿児島の吹上浜と志布志湾、さらに宮崎の三方面から上陸して攻勢をかける計画。
⇒九州南部を攻略・占領して広大な米軍の陣地を築くことを目的とした。
⇒当然、航空基地も完成させ、そこから関西、関東への爆撃を行う。
⇒さらには、四国にも攻撃を加える。
◎コロネット作戦とは
⇒侵攻開始は昭和21年3月1日の予定で、57万人の兵力を投入する計画であった。
⇒まず、千葉の九十九里浜に第一軍が上陸、その後、東京、木更津、銚子方面へ侵攻する。
⇒3月11日には、別部隊を相模湾に上陸させ、横須賀、横浜、東京、熊谷方面に攻略の手を伸ばしていく。
⇒さらには、ヨーロッパの歩兵部隊や空挺師団も戦闘に参加させる予定。
⇒あくまで日本軍が抵抗するなら、米は毒ガス・細菌兵器の使用や三回目の原爆投下も考えていた。
◎ソ連の対日参戦を忘れてはならない
⇒歴史事実として、ソ連は昭和20年8月9日、一方的に「日ソ中立条約」を破って、対日参戦してきた。
⇒日本がポツダム宣言を受諾した後もソ連軍は攻撃を続け、満州の関東軍を壊滅させた。
⇒8月16日以降もソ連は軍事行動を続けたため、大陸に居た日本の民間人の多くも虐殺されたり、ソ連へと移送され強制労働などに苦しめられた。
⇒従って、もし、ポツダム宣言受諾がもっと遅れていれば、満州制圧後のソ連は北海道に侵攻し、略奪や殺戮の限りを尽くした後、占領したであろう。
⇒それでも、日本が徹底抗戦していれば、次に東北地方に上陸し、攻撃を開始したはずである。
⇒もしかしたら、日本の北半分はソ連の領土になっていたかもしれない。
*以上は、あくまで「if」の話ではあるが、、、
今回の記事は、「反実仮想」のシナリオではある。
しかし、実際にアメリカはオリンピック・コロネットの二大作戦を練り上げていた。
加えて、ソ連は実際に対日参戦しており、スターリンが日本領土を欲していたことも、まぎれもない歴史事実である。
日本が、昭和20年8月以降も、戦闘を継続していたら、現在の日本は存在しない。
おそらく、朝鮮半島のように、南北に二分割されていただろう。
話は変わるが、ウクライナ・ロシア戦争は、今後、どのように進展するのか。
イスラエル・ハマス戦争においても、休戦交渉はまとまっていないようだ。
ありがたいことに、ここ数十年間、日本は戦争に巻き込まれてはいない。
まあ、正確に言うと、「武力侵攻」は受けていない。
もちろん、侵攻や侵略には、「軍事活動」以外にも様々な形態があるが、、、、、
これ以上書くと、タイトルと記事の内容が一致しなくなるので、今回はこの辺にしておきたい。
追記
ソ連軍による南樺太と千島列島への軍事侵攻については、また別の機会に記事としたい。