先日、当ブログで「will は「だろう」でも「でしょう」でもない!」というタイトルで記事を書きました。
Michael Swan先生の”Practical English Usage”のwill の説明を少し引用させてもらい、その根拠としました。
日本語で書かれたもので、will には「だろう、でしょう」という言葉の意味はない、とはっきり説明している本をここで挙げます。マーク・ピーターセン先生の「英語の壁 The English Barrier 」です。
文春新書です。
先生はネイティブスピーカーの立場から、この件について説明しています。興味のある方はご一読ください。
では、なぜ、will を「だろう・でしょう」と訳す人が多いのでしょうか。
今回はその理由について100%正解かどうかの確証はありませんが、かなり興味深い解説を見つけました。
その紹介をしながら、当ブログ管理者の推測も少し述べたいと思います。
*ある受験参考書の解説から
かなり古い参考書ですが、木村明「英文法精解」という書籍があります。
この中に、will を「だろう・でしょう」と訳す理由を説明しています。
該当部分をそのまま正確に引用するのではなく、ポイントを列挙した後でこちらからも疑問点を入れていきます。
1 日本語の動詞は現在と未来を明確に区別する表現法を持っていない。
He comes today. 彼はきょう来る。
He will come today. 彼はあす来る。⇒同じ「来る」で現在と未来を表している。
2 日本語の原則通りにするなら、和訳の際に現在と未来のどちらにも、同じ訳語を用いてもよい。
しかし、それでは英語学習上大変不便であるので、未来を訳す時には「でしょう・だろう」を用いて、これを現在と区別することにしている。⇐???(この?は管理者によるもの)
3 そして、いつの間にか、学習の便宜上、「でしょう・だろう」を未来の訳語として用いる習慣ができた。もちろん、英語のwill, shall にはそのような意味はふくまれていないことを十分心得ておかねばならない。
(ここまでが、同書からのポイントの列挙です。)
1はその通りだと思います。
問題は2です。
和訳の際に同じ訳語を使って、どういう不便があるのですか?
日本語の性質を訳語にそのまま反映することがなぜ不便なのか、管理者にはまったく理解できません。
3では、著者がこの本を執筆した時点では、すでにこの習慣が完全に定着していた様子がうかがわれます。
そして、注意をうながしていることから、この著者の誠実さがわかります。
さて、ここからは当ブログ管理者の何の裏付けもない大胆な仮説です。
・明治から昭和初期ぐらい(?)までの、ある時期に日本人英語関係者の中で影響力の強い人たち(文法学者?大学教授?翻訳家?)が和訳の際に現在と未来は区別が必要だと判断して、未来には「だろう・でしょう」を使うという暗黙の(?)の了解ができた。
・影響力の強い大御所たち(文法学者?大学教授?翻訳家?)が授業・指導等で「だろう・でしょう」を使い、辞書・参考書等の中にも「だろう・でしょう」の記述が行われた。
・時の経過とともに、この慣習(悪習?)は完全に定着した。
・一部の良心的な人々(木村明のような)は注意喚起したが、その他大勢の関係者は大御所に逆らえないのか、それとも本気で「will = だろう・でしょう」と考えているのか、いまだに状況は変わっていない。
・中学生・高校生が、will を「だろう・でしょう」と訳すのも当然だ。指導者・辞書・参考書がそう教えているのだから。
*もうひとつ、管理者の推測があります。
それは、「推量のwill 」の影響ではないだろうか、というものです。
ある参考書には、こう記述されています。
・現在の推量 話し手の確信度は高い。
Mom will be downstairs now. お母さんは下にいるでしょう。
また、別の参考書にはこうあります。
・推量のwill 現在の時点での推量を表す。
You’ll be Miss Cook, I suppose. あなたはクックさんでしょう。
両者ともに、訳に「でしょう」を使っています。
参考書のいろんな箇所で「でしょう」が使われているので、will を見た時に頭に「でしょう」が浮かぶのかもしれません。
しかし、ここでもうひとつ言いたいことがあります。
推量のwill を「でしょう」と訳すのは適当でしょうか。
ThomsonとMartinetが書いた”A Practical English Grammar”という文法書にこうあります、”Assumptions with should are less confident than assumptions with will”(推量のshouldは推量のwillよりも確信度が低い⇒will の方が確信度が高い)
「推量のshould 」は、「当然のshould 」とも呼ばれていて、通常は「~のはずだ」と訳される例の用法です。
さて、ここからは日本語の問題なのですが、「~でしょう」と「~のはずだ」ではどちらが確信度は高いのでしょうか。
「お母さんは下にいるでしょう」と「お母さんは下にいるはずだ」ではどちらの確信度が高いと感じますか。
管理者は「はずだ」の方です。
もし、多くの日本人が同じように感じるのなら、推量のwill を「でしょう」と訳すのは問題があるのではないでしょうか。
ついでながら、推量の確信の度合いを、L.G.Alexander著”Longman English Grammar”でまとめていますので紹介します。
下にいくほど確信度が高まります。
ただし、状況による場合もあるから100%固定ではない、とのことです。
You might be right.
You may be right.
You could be right.
You can be right.
You should be right.
You ought to be right.
You would be right.
You will be right.
You must be right.
You are right.
なぜ、will を「だろう・でしょう」と訳す人が多いのか?
確証はありませんが、大きな要因は木村明さんが著書で述べた経緯ではないでしょうか。
もしかしたら、管理者の推測も少しは関係しているのかもしれません。
また、なにか情報が入ったら記事にしたいと思います。