あ~、日本が植民地にならなくて良かった、とつくづく思いました。
平川 新(ひらかわ あらた)さんのこの新書は読みごたえがありますよ。
*豊臣秀吉はなぜ朝鮮出兵を行ったのか
*徳川家康はなぜ鎖国政策を実施したのか
*伊達政宗が遣欧使節団を送った狙いはなにか
*日本が植民地化されなかった理由はなにか
以上のような問いかけに著者平川氏が自説を展開し、回答したのが本書です。
戦国時代から徳川時代初頭に興味がある人には面白く読めることは間違いありません。
さて、従来、秀吉の朝鮮出兵の理由に関しては、以下のような諸説があります。
*全国平定後、さらなる褒賞用に海外の領地を求めたため
*国内の安定のために、諸大名の力を海外遠征で消費させるため
*単に、自分の功名心というか征服欲を満たすため
*明との勘合貿易の復活を狙ったため
など様々な説があります。
中には、秀吉の実子・鶴松の死にショックを受けて、その憂さ晴らしのためなどと唱える人もいました。
小説やドラマで好まれるのは、秀吉の狂気であるとか、すでにボケていた等の説明ですね。
ここで、多少のネタバレは勘弁してもらって、著者の意見を紹介します。
◎秀吉の朝鮮出兵の目的は、ポルトガルとスペインによる世界分割支配体制に対抗することだった!
つまり、当時の強国(特にスペインは世界最強)による日本植民地化計画を頓挫させるためだったと著者は言います。
詳しくは、ぜひ本書を読んでいただくとして、せっかくですから、もう少し背景となる情報を提供します。
◎ポルトガルとスペインによる世界分割支配体制とは?
15世紀から、ポルトガルとスペインが海外進出が開始したいわゆる「大航海時代」が始まりました。
大航海時代などという語感から、なんかロマンを感じる人もいるかもしれませんが、その本質は当時の大国による植民地開拓を目的とした一方的な侵略行為です。
この欧米列強の領土獲得競争の際にキーワードとなるのが、「トルデシリャス条約」です。
この条約は、ポルトガルとスペインが締結したもので、カーボベルデ諸島の西の子午線(西経四十六度三十七分)を基準にして、その東側の新領土はポルトガル領、西側はスペイン領とすることを決定したのです。
何を勝手なことを、、、と言いたいですけどね。
このふざけた条約に基づく体制を「デマルカシオン」=世界領土分割体制と言います。
ホントに、当時の大国のやることときたら、言語道断にもほどがある!
◎要は、スペインもポルトガルも日本を植民地化しようと虎視眈々と狙っていた。
その企みを秀吉は見抜き、様々な対抗措置を打ったわけですが、その一つが朝鮮出兵であった、と平川氏は解説します。
実は、「バテレン追放令」もその一環であったとのことで、このあたりの詳細な記述は読みごたえがあります。
また、この新書を読むと当時のキリスト教宣教団の本質(=恐ろしさ)を理解できますよ。
例えば、イエズス会はキリシタン大名を支援して日本をキリスト教国に改造することを計画していたそうです。
あまり書きすぎるのもなんですが、最後に何点か著者の解説や主張を下に挙げておきます。
*キリスト教の布教はスペインとポルトガルの世界征服事業と一体化していた。
*イエズス会などの宣教団は、貿易商人(奴隷商人も含む)や植民者や軍隊などとともに世界各地に赴いた。
*秀吉の朝鮮出兵により、スペイン(ポルトガルを含む)が日本の軍事力に恐怖を覚えて、日本植民化を断念した。
(⇒1580年以降はスペイン王がポルトガル王を兼ねる同君連合が成立していました)
*この朝鮮出兵で、日本は一躍、世界中で知名度を上げ、軍事大国と認識され怖れられた。
*徳川幕府が鎖国政策を採れたのも、日本の軍事力をヨーロッパ列強が恐れて、干渉できなかったからだ。
このくらいにしておきます。
本書の内容は知らなかったことが多くて、大変勉強になりました。
著者の主張は、これまでの通説にかなりの見直しを要求しますが、ブログ主は説得力があると感じます。
歴史に関心のある方へ、あなたの歴史観を揺さぶるかもしれない一冊です。
一読の価値ありです。
追記
この本を読んで、秀吉の凄さを再認識しました。
また、キリスト教の邪教性や非人道的行為(=奴隷商人と結託していた)に改めて怒りを覚えた次第。
そもそも、1494年の「トルデシリャス条約」以前に境界線を定めた1493年の「教皇子午線」は当時の教皇アレクサンデル六世の決定ですから、ローマ教皇が侵略行為の後押しをしたようなものです。
このあたりもいろいろありますので、また小ネタにでもしたいと思っています。