相変わらず、一般受けしない記事で申し訳ないですが、今回も仏教ネタです。
第一回の「浄土宗」に続き、「浄土真宗」を見ていきます。
◎宗祖は親鸞(1173~1262年)
浄土宗の宗祖法然の弟子とされてます。
ただ、親鸞の生涯についてはよくわかっていないそうです。
◎比叡山で学ぶ
多年にわたり、厳しい修行を積んだとされていますが、詳しいことは不明だそうですよ。
◎親鸞の著書は『教行信証』、正式名は『顕浄土真実教行証文類』
浄土真宗の根本聖典とされています。
その内容は、専門家によると、他の仏典や源信、法然などの著作からの引用が多いとのことです。
◎親鸞に関しては不明な点が多いのに、なぜこれほど有名なのか?
覚如(=親鸞の曽孫)の著した『本願寺聖人親鸞伝絵』が親鸞の生涯を描いており、この絵詞の影響が大きいようです。
ちなみに、覚如は本願寺三世でもあります。
現在でも、浄土真宗大谷派の法主は代々世襲であり、親鸞の血を引いているとのこと。
もう一つの要因は、親鸞の弟子である唯円の『歎異抄』が今日よく知られているからだそうです。
◎有名なのは「悪人正機説」
皆さんよくご存じの「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」ですね。
唯円の『歎異抄』の中に、親鸞の言葉として紹介されています。
この悪人正機思想が、当時の人々にとって大きな魅力を持っていたのでしょう。
◎浄土宗や浄土真宗が多くの民衆の心をつかんだ時代背景など
平安時代末期の日本は、貴族の権力が弱まり、仏教界も堕落し、一種の乱世のような状況と言われています。
その中で「末法思想」が流行し始め、貧困や飢餓に苦しむ人々が現実世界から逃避したいと感じるようになったようです。
そこで、「南無阿弥陀仏、と唱えるだけで極楽浄土で救われる」と教えた浄土宗や浄土真宗が多くの信者を獲得できたのでしょう。
では、ここまでは割と周知のことがらでしょうから、以下に少々細かいことなどを紹介していきますね。
*浄土宗側と言い分が異なる
親鸞の『教行信証』には、法然の『選択本願念仏集』の書写を許されたとありますが、浄土宗側の資料では「親鸞」の名前は無いようです。
*親鸞は法然の高弟であったのか?
法然の『七箇条制誡』への親鸞の署名は二日目で、87番目だったそうです。
このことから、親鸞が法然の主だった弟子であることを疑う研究者もいるようですね。
*キリスト教にも「悪人正機説」と似た考えがある
新約聖書マタイ伝に、イエスの言葉として「私は、義人を招くためではなく、罪人を招くためにきたのだ」とあります。
もしかしたら、聖書(キリスト教)が親鸞に影響を与えたのかもしれません、って知らんけど。
*一向一揆の背景
極楽浄土の存在を本気で信じれば、死ぬことを恐れない覚悟が生まれることもあるでしょう。
すると、命が惜しくないので、どんな強い相手に対しても捨て身の覚悟で立ち向かうことができます。
戦国時代の「一向一揆」の背景をこのような心理面から説明する専門家もいます。
*一神教的な性格が強く、キリスト教に類似している
浄土宗と同様、阿弥陀仏を唯一の拠り所にする「一神教」的性格を持ち、自らが悟るのではなく、念仏による「救い」を求める点で、キリスト教に似ている。
浄土真宗では、「神祇不拝 じんぎふはい」という教えを説いています。
これは、阿弥陀仏以外の仏への帰依を否定する、つまり、他の神仏を認めない姿勢です。
では、いつまでもマニアックなことを書き続けても、磯貝や川口からツッコミが入りそうなので、そろそろ終わりたいと思いますが、、、
一般に、日本は「八百万の神々の国」と言われ、多神教文化に分類されますが、浄土宗系統の持つ「一神教」的構造は興味深いものです。
また、浄土教系統とキリスト教との類縁性に関しては、浄土宗も浄土真宗もあまり触れたがらないようです。
今回はここまでにしましょう。