昨年末から、松本人志についての報道がメディアを賑わせている。
文春の記事をめぐって、様々な意見や憶測がテレビやネットで流れているようだ。
吉本興業は裁判に注力するためと言う理由から、松本の芸能活動休止を発表した。
文春の方も自信を持っているようだし、さて、どうなりますことやら。
今回、文春の主張する「性加害」については当ブログではコメントしない。
ただ、松本人志というお笑い芸人に関して感じていることを正直に述べたい。
*そもそも、松本の個人番組はほとんど視聴していない。
⇒たまに、視るのは「探偵ナイトスクープ」だが、依頼内容が割と面白いからだ。
別に松本に興味があるからではなく、暇な時の時間つぶし程度での視聴である。
⇒別に、松本のファンでもなんでもないので、活動休止はブログ主に何のインパクトも無い。
*松本個人ではなく、ダウンタウンの昔の漫才をこの記事を作成する前に少しだけ見たら、割と面白かった。
⇒かなり昔の「クイズネタ」というのと「誘拐ネタ」という漫才をyoutubeで視聴したところ、思っていたよりも面白かった。
⇒ただ、特別センスがどうのこうのとか、松本本人が言う「二十世紀最大の天才性」などは感じなかった。
もちろん、時代の流れがあるだろうから、当時は斬新だったのかもしれない。
*そもそも、松本個人を本人が自称するほどの「天才」だと感じたことなど一度もない。
仮に、お笑いを料理に例えると、松本のつくったネタ(料理)の面白さ(味の良しあし)が最高とまでは思えない。
⇒おそらくは、彼を天才と見なす芸人(特に、後輩)や評論家とはネタ(料理)の好みが異なるのであろう。
⇒ただ、彼の番組をあまり視聴しないから、こちらの食わず嫌いの可能性も否定はしないが。
⇒一方で、北野武のネタ(料理)はブログ主にとって昔からずっと面白い(美味い)のである。
⇒仮に、松本が天才だとしたら、それは「教養なき天才」の部類ではないだろうか。
⇒この「教養なき天才」とは北野武が明石家さんまを評したフレーズである。
*再度、言うが、お笑いとは料理のようなものだと思う。
⇒ラーメンにはトンコツ、味噌、醤油、塩などのジャンルがあり、それぞれに美味しいし、ファンにはこだわりがある。
⇒トンコツだけをとっても、こってりからあっさりまでいろいろある。
⇒結局、どれが一番美味いかと判断するのは、食べる者の好みであろう。
⇒つまり、ジャンルの違いとジャンル間の優劣は別問題だと思うのだが、、、
⇒松本の主張はお笑いに対する好みの多様性を否定しているような気がする。
*映画や著作の分野では、北野武の方が松本よりも格上だと思う。
⇒北野武は約20作の映画を監督し、多くの賞に輝いているが、松本の監督作品は4作で、うち一作が某映画祭でノミネートされたにすぎない。
⇒北野武の場合、単著と共著を合わせると130冊を超える。
一方の松本の著書は約30である。
⇒映画に関しては、北野の圧勝だろうが、著書に関しては「量よりも質」だと松本ファンは反論するかもしれない。
それはそれで、「好み」の問題だろう。
*誰が両者を「天才」と見なしているのか。
⇒北野の場合、周囲の者が最初に彼の「天才」に気づき、賞賛した。
⇒松本の場合は、自分で自分のことを「天才」と呼び、周りがそれに迎合したような印象だ。
⇒北野は自他ともに認める「天才」であり、「世界のキタノ」として国際的にも評価が高い。
⇒松本は、世間に自分を「天才」と思い込ませることに成功した「天才催眠術師」だったのではなかろうか。
⇒別の表現を用いると、松本は新興宗教の教祖タイプなのかもしれない。
それはそれで、凄いことだが。
とまあ、たいして推敲もせずに一気にここまでキーボードをたたいたが、別にお笑い評論家でもない素人のとりとめのない独り言なので、ご容赦のほどを。
もし、読者の中に熱烈な松本ファンがいたら、申し訳ない。
別に、松本人志個人に敵意も悪意も持ってはいない。
本当に、正直な話、松本が芸人としてここまで高く評価されている理由がわからない。
ブログ主にお笑いのセンスがないと言われれば、それは否定しない。
ただ、こちらとしては、繰り返しになるが「センス」というよりも「好み」の問題だと思うのだが。
ビートたけしのお笑いは大好きだし、多面的な天才だと思う。
何度も言うが、松本のお笑いはよくわからない。
というか、それほど興味もない。
彼がテレビから消えようが、こちらには何の痛痒もない。
以上が、最近の松本人志報道を耳にして感じている本音である。
皆さんは彼のことをどのように感じていますか?
追記
たけしがさんまを評した「教養なき天才」について少し補足。
たけしの発言の趣旨をおおまかに引用すると、「さんまはしゃべりの天才。反射神経と言葉のセンスは凄い。ただ、いかんせん教養がない。そこが限界かもしれない、と思ったりもする。例えば、数学者と話す場合、その笑いのキーがどこにあるのかわからない。数学者の外見や私生活、奥さんの話を突っ込んで、そこから話を膨らませるのは上手いけど、数学そのものの話はできないから。これでもっと教養があればと、惜しいと思う時がある。だからさんまは、「教養なき天才」ということ」
さらに追記
この記事をアップして数時間後に、文春の記事に松本とともに名前が挙がっていたスピードワゴン・小沢一敬が活動自粛するとの報道がなされた。