左翼・リベラルは不勉強で不誠実である!

常々、感じていることがある。
ほとんどの左翼・リベラルは不勉強で不誠実、思考は硬直化というか底が浅い。
換言すると「彼らの言説にはなんの魅力も感じない」ということだ。

具体例をひとつ。

「狂信的な天皇制ファシズムによって蹂躙された「十五年戦争」の日本」
「当時の政治体制は、狂信的な天皇崇拝に根ざすものでした」
「日本を特異な事例にしているのは、天皇自身が神性を帯びていることによって、天皇を超越する存在を思考できないことです」

上の発言は、1951年生まれの某大学教授の発言である。(昨年末のインタビュー記事より)
見てのとおり、典型的な左翼・リベラルの毎度おなじみのワンパターン文言の羅列。

要は、とにかく戦前の日本では天皇は絶大な力を持ち、国民は天皇を崇拝し、大東亜戦争につながった、と言いたいわけだ。

本当に、この連中は芸がないというか、何十年間も同じ主張の繰り返し、頭の中は「金太郎飴」だ。
インタビュー全体のどこを切っても、「戦前が悪い」「日本が悪い」、、、の繰り返し。

引用中の「天皇制ファシズム」というのは、丸山眞男あたりの用語であろうが、戦前の日本の政治を「ファシズム」と定義できるかについては大いに疑問があり、実際に多くの反論があるのが現状である。

このリベラル大学教授は思考停止状態のお花畑さんのようだから、何十年間もなんの疑問も抱かずに、なんとかの一つ覚えのように使用しているようだ。
少し、感情的になったので、ここからは、冷静に反論していく。

戦前の天皇について考えてみたい。
まず、周知のとおり、戦前の大日本帝国憲法の第1章が「天皇」を規定している。

ここで、冷静に考えて欲しい。

近代国家の憲法の中に「天皇」が位置付けられているという事実は天皇が「神」ではないことを明確に示している。
本来、「神」というものが存在するならば、国家の枠組みや国の憲法などを超越したものであるはずだ。

大日本帝国憲法の第1章が「天皇」に充てられていることが、天皇が国家の機関であることを物語っている。
もう、ここで反論の大部分は終わっているのだが、もう少し続けよう。

さて、ブログ主の印象では戦前の日本人が100%天皇の神性を意識し、無条件に崇拝していたとは考えられない。
おおよそ、以下の3パターンがあったのではなかろうか。

1 天皇の神性を信じていたグループ
2 半信半疑のグループ(+自己の利益のため信じているふりをしたグループ)
3 「天皇機関説」を採用するグループ

あくまで、大雑把な感触だが、戦前に関する書籍をいくつか読む限りにおいては、当時の日本人全員が熱狂的に天皇の神性を信じていたとは信じがたい。

それから、そもそも、この大学教授は高校時代、日本史の授業で「天皇機関説」とか「美濃部達吉」という用語や人名を習わなかったのか?
この辺の事情を考慮するだけでも、天皇を単なる「機関」とみなす考えが当時から存在したことが理解できるはずだ。

本当に知らないのなら、「不勉強」だし、知りながら無視しているのなら「不誠実」である。
なんの検証もせずに、ただ自分が妄信することを、あたかも「真理」のように語っているのだから、この教授こそ自分のことを「神」とでも思っているのだろう。

そもそも、多くの左翼・リベラルが拠り所とするMarxの思想は、キリスト教の亜種であり、つまりは一種の宗教である。
また、彼らの多くが絶対視する「人権宣言」が形而上学的性質を持つことは多くの識者の指摘するところである。
(この辺は、また機会をあらためて)

話をもどす。
また、戦前の天皇制(便宜上、この用語を使用する)については、以下の二重構造から構成されていた、という意見がほぼ定説とされているようだ。

*一般国民向け⇒天皇は神のような存在として現れる
*高学歴・知識人層向け⇒天皇は単なる制度・機関にすぎない

上記の天皇制の二重構造を仏教の「顕教」と「密教」に見立てて説明する手法もある。
(これは、久野収という評論家が著作の中で用いた。この久野は左翼陣営に属するようだが、この譬えはうまいと思う)

ここでの顕教は一般庶民にとって分かり易く、公然と教えられたもの(=天皇を神と教えること)のたとえであり、密教は優れた洞察力のある者にしか伝えない教え(=天皇はただの機関と教える)のたとえである。

つまりは、戦前から、天皇をどのようにとらえるかは、階層・教育レベル・立場によって異なるという趣旨である。

このように見てくると、最初にブログ主が提示した3パターンは特別、奇異な分類ではないと思うのだが、これは読者の皆さんの判断にゆだねる。

再度、疑問に思うのだが、素人のブログ主でもこの程度の知識は持っている。
70過ぎの、この大学教授は、「不勉強」なのか「不誠実」なのか?
おそらくは、両方だろう。

磯貝の言うところの「一般受けしない」記事なので、そろそろ幕引きとしたいが、このお花畑教授への批判は今回が第一弾として、また機会を見ながら、第二弾を書きたいと思っている。

つくづく、日本の左翼・リベラルのほとんどは、思考が凝り固まった状態にある。
まさに、「金太郎飴」状態だ。

いつでも、同じ話、誰からも似たような意見、「どこを切ってもお花畑」だ。
たまには、こちらが、「お、今回の切り口は斬新だ」と唸るような論理展開の冴えを見せて欲しい。

追記
記事で紹介した、戦前の天皇に対するとらえ方を仏教の「顕教・密教」で説明する久野説は、割と的を得ていると感じたので紹介した。
仏教に関心のある人には、わかりやすい譬えだと思う。
左翼陣営からのものであれ、いいものは採用させてもらう。