祖父と三人の愛人

12月29日は父方の祖父の命日である。
毎年、この日には、酒を愛した祖父を偲んで、一人静かに杯を傾けることにしている。
(って、自分が飲みたいだけだろ!)

祖父は、支那で戦い、生還したが、その数年後にはビルマ戦線に投入された。
地獄のビルマでは何度も死線をくぐり抜け、生きて日本の地を再び踏んだ強運の持ち主である。

祖父は銃剣と射撃の達人であった。
昔、実家には、陸軍歩兵学校時代の銃剣と射撃の大会の優秀者に与えられる賞状が何十枚とあったのを記憶している。

ほんの数枚の「2位」または「準優勝」を除くと、残りはすべて「1位」または「優勝」であった。
父や叔父貴連中の話によると、たまにわざと負けていたとのこと。

要は、いくばくかのお礼を貰う代わりに、八百長をして二番手のものに花を持たせてやったらしい。
そして、休暇の際には、その金を持って飲み歩いたのだろう。

復員後、落ち着くと、昔ながらの土建屋を立ち上げた。
近代的な建設会社ではない。
荒くれものの土方連中を束ねる親方になったのである。

祖父は二度、結婚している。
最初の妻との間に産まれた男子がブログ主の父親である。

父がまだ子供の頃に、祖父は離婚した。
だから、ブログ主は実の祖母のことは写真でしか知らない。

その後、再婚して三人の子(男2、女1)をもうけた。
私にとっては、叔父と叔母である。

とにかく、祖父はやりたい放題で、周りに対する配慮など一切なし。
愛人は三人いた。(同時期ではないようだ)

まず、一人目は地元の料亭の女性だった。
記事にもしたが、この女性がブログ主に秋田の仔犬をプレゼントしてくれた。
この秋田犬を思い出すたびに、この祖父の愛人のことにも思いをはせる。

二人目は、祖父が居酒屋を任せていた女性。
二階が居住空間という昔の飲み屋あるあるタイプで、祖父はほとんど入り浸っていた。
したがって、二番目の妻との間の関係も最悪で、私にとっての義理の祖母は出ていき、別居となる。

その居酒屋には、父や叔父貴連中、さらには、ブログ主の母の兄弟たちもよく顔を出した。
幼いころに、この女性の家(祖父の別宅=居酒屋とは別の家)に何度か行ったことがあるのをうっすらと覚えている。

父や叔父貴連中がまだ元気なころ、祖父の法要では必ずこの女性と飲み屋の話題が出て、「あの店でさんざん飲ませてもらった」という話で盛り上がったものだ。

この愛人が亡くなった時、父と叔父貴連中が手配して墓を建てた。
その墓は、私の母方の墓がある墓地内にあるため、お盆に母方の墓参がてら、この女性の墓にも手を合わせることにしている。

心の中で、「〇〇さん、生前は祖父がお世話になりました。私自身も可愛がってもらったようで、、、、」などと唱えながら合唱している。
こういう縁もあって、三人の中ではこの愛人が一番馴染みがある存在。

さて、最後に三人目だが、実は父や叔父貴連中から詳しい話を聞かなかったので、実はよくわからない。
やはり、父としてもそういう事情を何もかも息子である私に説明するのにはためらいがあったのだろう。

いろんな筋から聞いた情報では、どうやら地元ではなく、ちょっと離れた温泉地の旅館の女性らしい。
土建の仕事関係かなにかで温泉地の女性と知り合ったのか、それとも普通に遊びで行って、仲良くなったのか、今となっては不明である。

いずれにしろ、祖父は自分の好きなように生きた幸せな人間である。
もしかしたら、地獄のビルマで「生きて日本に帰ったら、好き勝手やってやる!」と念じながら戦ったのかもしれない。

今年も12月29日は、一人静かにグラスを傾けることにする。

祖父を思い、秋田犬をくれた女性に感謝しながら、「ドル」と祖父が名付けたその秋田犬との思い出にしばしふけるのも楽しい。

居酒屋の愛人の場合は、毎年墓参しているため、一種の親近感があるし、常連だった父や叔父貴連中のことも併せて思い出しながら偲んでいる。

三番目の愛人、このミステリアス?な女性に関しては、想像力を一層たくましくしてアレコレ勝手な妄想をしながら楽しむのもまた一興だ。

こんな感じで、事実と想像を絡めながら、一人飲む酒は実に美味い!
祖父と三人の愛人の冥福を今年も祈りながら、、、、、