12月16日は戦艦「大和」の日

昭和16年12月16日、戦艦「大和」が就役した。
世界最大の大和型戦艦の一番艦である。

二番艦は戦艦「武蔵」、三番艦は空母「信濃」である。
この「大和」の名は、「大和」と「信濃」の二つの候補から昭和天皇が治定した。

全長263メートル、最大排水量73000トン、46センチ主砲などは特に軍事マニアでなくても、一般によく知られている。

そして、この史上最大最強の戦艦を讃える声が現代でも多く聞こえる一方で、「無用の長物」とか「時代遅れ」との批判があるのも事実である。

厳しい評価は大和を建造した日本海軍にも向けられ、「当時の海軍の発想が時代遅れだ」「空母の重要性になぜ気づかなかったんだ」などと、自分の言葉に酔ってでもいるのか、なぜか得意げな様子で語る人も多い。

ただ、冷静に考えると、大和や海軍に対する低評価は単なる「後出しじゃんけん」である。
以下に説明する。

*大和の建造が始まったのは、昭和12年である。
これは、ロンドン海軍軍縮条約失効後の英米の新型戦艦建造を見据えてのことであった。
(批判者はロンドン軍縮条約とか知ってるのかな?)

*世界の「大艦巨砲主義」が終焉したのは、昭和16年12月10日。
日本海軍航空隊が、英の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを攻撃、撃沈した。
これは、航空機による攻撃だけで戦艦を撃沈した世界初の事例である。

つまり、大和の建造が開始された当時の軍事常識は「巨砲・重装甲の戦艦中心の海軍こそ最強」のいわゆる「大艦巨砲主義」が主流であり、皮肉にもその四年後に当の日本海軍がそのスタンダードを打破したのである!

こういう時代背景や当時の軍拡競争について少しは調べたうえで、発言しているのだろうか?

訳知り顔をして大和を貶す人に尋ねたい。
あなたは四年後の世界が見えているのですか、と。

アメリカ海軍もロンドン条約失効後に新型戦艦の建造計画を立て、アイオワ級戦艦が就役したのが1943年(昭和18年)以降のことであるから、大和就役の二年後のことである
(ちなみに、このアイオワ級の三番艦が戦艦「ミズーリ」である)

こういう事実を知ったうえで、「大和を建造した当時の日本は時代遅れだ」とか物知り顔で言っているのであろうか?

ちなみに、アメリカはアイオワ級を超える巨大戦艦モンタナ級の建造を計画し、それが承認され発注されたのが1940年(昭和15年)であるから、大和建造開始の三年後である。

このモンタナ級は、おそらくは昭和16年12月のマレー沖海戦の影響であろうが、1942年(昭和17年)にルーズベルト大統領が直々に中止命令を出して、ついに建造されなかった。

現代から過去を振り返って、あれこれ発言するのはたやすい。
しかし、当時の日本海軍は時代の趨勢であった「大艦巨砲主義」に基づいて戦艦「大和」を建造したのである。

その「大艦巨砲主義」を終焉に導いたのが、日本海軍であったという事実こそが歴史の皮肉である。