日本人には、12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日として馴染みがある。
もちろん、年代にもよるし、詳しい人もいれば、あまり関心のない人もいる。
ブログ主もそれほど興味を持っていないし、関連知識も乏しい。
子供の頃、テレビで『忠臣蔵』に夢中になっている祖父や父の姿を見ると、「なにがそんなに面白いんだろう」などと感じていた。
さて、1911年12月14日はノルウェーのアムンゼン隊が南極点に史上初めて到達した日である。
イギリスのスコット隊に先立つこと、5週間であった。
(*「アムンゼン」は「アムンセン」の表記もあるが、ここでは「ゼ」を用いて「アムンゼン」で統一させていただく)
周知のとおり、アムンゼン隊は生還し、スコット隊は南極点からの帰途において隊長スコットを含む全員が死亡した。
この対照的な成功と悲劇に関しては多くの人が様々な点から言及・解説している。
ごく簡単に言うと、以下のような指摘がよく見られる。
◎アムンゼン隊
*事前に犬ぞりを使用することに決定し、そのうえで十分な訓練を行っていた。
*食料や装備の選択において、慎重で効果的な戦略を用いた(ここが、今回の本題)。
*良好な衛生状態を維持し、隊員の士気を高めた。
✖スコット隊
*犬ぞり、馬、雪上車の混成部隊を使用し、犬ぞりの訓練が不十分であった。
*食料や装備の選択が結果として裏目に出た(馬用の乾草が現地調達不可、雪上車故障など)。
*夏季としては異例の長期間の暴風雨に見舞われた。
その他にも、アムンゼン隊が南極点到達を最優先していたのに対して、スコット隊は学術調査も重視しており、戦力が分散した、との指摘もある。
さて、今回の記事で強調したいのは、それぞれの「食料戦略」である。
人間、「腹が減っては戦ができぬ」であり、ある意味で最重要項目でもある。
スコット隊は必要であろうとされる食料をすべて持ち運んだ。
しかし、不運にも長期間の悪天候のせいで食料不足に陥った。
一方のアムンゼン隊は現地に生息する海獣を狩るなどして携行食料を少なめに抑えた。
さらに、犬ぞりを曳く犬を食用にしたのである!
途中で弱った犬を殺し、その肉を元気な犬と隊員用の食糧としたのだ。
出発時には100頭以上いた犬が、帰還した際には十数頭にまで減っていたそうだ。
南極という過酷な環境で「生きるか死ぬか」の場面である。
犬を食用にするのもやむを得ない選択だったと思う。
一方のスコット隊は食料不足の中で、犬や馬を食べることを検討したが、最終的にはその決断を下さなかった。
犬を食べて成功・生還したアムンゼン隊、様々な理由から犬を食用にできなかったスコット隊。
両者の成否と生死を分けたのは、極限状態の中で「動物の命」をどのように扱うか、またどのように「活用する」かにあった。
アムンゼン隊のような限界状況における犬食とは背景・文脈が全く異なるが、韓国における犬食反対の動きは、その後、どうなっているのであろうか。
ついつい気になってしまう。
また、調べて記事にするかもしれない。