再び、「大東亜戦争」の呼称をめぐって

大東亜戦争は大東亜戦争である。
ただし、かつてはGHQに強制された呼称である太平洋戦争も浸透しており、利便性(ここでは共通理解のため)がある。

しかし、ブログ主には素朴な疑問がある。
「大東亜戦争」の呼称を弾圧したい人たちに対して。

彼らは大東亜戦争を「悪い戦争」「侵略戦争」と決めつけているのに、なぜ「大東亜」という表現を消そうとするのか?
呼称の中に「大東亜」があるほうが、彼らの言う「侵略戦争」のニュアンスが出るのではなかろうか?
よくわからない。

なにか、深い考えがあるのか、それともただGHQの史観を無条件に信奉しているのか?
謎である。

では、本題に入る。
今回のテーマは太平洋戦争以外で用いられる大東亜戦争の代替呼称について、簡単に説明する。

*十五年戦争

⇒ブログ主は使用しない。
「大東亜」や「太平洋」などの理念や地域を示す語が入っていないために、用語としてふさわしいとは思えない。
また、世界史の「百年戦争」とか「三十年戦争」のもじりか?、とツッコミたくなる。

⇒鶴見俊輔が使い始めたとされる呼称。
満州事変から大東亜戦争までの一連の戦争を「十五年戦争」と名付けている。

⇒識者の間でも評価は分かれる。
林房雄は、ペリー来航から大東亜戦争までを「日本人VS白人勢力」の図式のもとにとらえているし、日清戦争から大東亜戦争までを「50年戦争」と規定するものもいる。

⇒ちなみに、鶴見俊輔の姉が鶴見和子。
鶴見和子の『南方熊楠ー地球志向の比較学』は興味深い一冊。

*アジア太平洋戦争(アジア・太平洋戦争)

⇒ブログ主は使用しない。
そもそも、大東亜戦争の「大東亜」に太平洋も包含されている。

それに、カタカナ・漢字交じりで字数も多い。
大東亜戦争は漢字で五字、ひらがなで九字だが、アジア太平洋戦争はカタカナが三字に漢字が五字であり、漢字を使わずに読むと十三字となる。

⇒この用語の成立背景は大まかに言うと以下のようになる。

1 大東亜戦争という呼称は「侵略的」だからよろしくない⇒
2 「太平洋戦争」という呼称にしよう⇒
3 戦域は「太平洋」だけではなく「アジア」も含まれるから「アジア太平洋戦争」の方がふさわしい、という流れ。

以上のような、左派か自虐史観派か知らないが、そういう立場の者にありがちな発想から生まれた呼称である。
底の浅い考えの人たちが好みそうな用語ではある。

*極東戦争

⇒英の歴史家Cristopher Thorneが用いた呼称で、「the Far Eastern Conflict of 1941-1945」の日本語訳。
ブログ主はこの呼称は使用しないが、クリストファー・ソーン氏は日本のお花畑の連中とは違い、大東亜戦争を「民主主義」対「ファシズム」の戦いなどとは規定していない。

⇒この歴史家についてはブログ主もまだ不勉強であるから、迂闊なことは言わない。

⇒「極東戦争」を使いたくない最大の理由は、「極東」が欧米中心の世界観に由来するからである。

最後に、再度ここでブログ主の立場を明確にしたい。
記号で評価を示す(◎⇒ベスト、△⇒次点、?⇒低評価、✖⇒ありえない)

◎大東亜戦争(理念も戦域も表現している)
△太平洋戦争(認知度が高いため、利便性がある)
✖十五年戦争(理念も戦域も表現していない、「百年戦争」の真似か!)
✖アジア太平洋戦争(クドイ! 用語としてのセンスが無い!)
?極東戦争(欧米中心の命名がよろしくないが、ソーン氏のことは今後調べるつもり)

大東亜戦争は大東亜戦争である。
我が祖父は「大東亜戦争」の名のもとに、あの地獄のビルマ戦線を戦い抜き、生還したのである。