12月8日は「開戦記念日」だ。
もちろん、昭和16年12月8日に始まった大東亜戦争のこと。
今回は、この戦争の呼称に関してブログ主の立場を明確にしたい。
*主に「大東亜戦争」を好んで使うが、「太平洋戦争」と呼ぶこともある。
従って、他者との会話の中で「太平洋戦争」のみを使用することもある。
(この辺の感覚は、基本的には「元号」を好むが、利便性から「西暦」も使用する行為と似ていると思う)
*「太平洋戦争」が正しい呼称だと一方的に主張し、「大東亜戦争」を禁ずる意見には断固反対する。
*「太平洋戦争」を禁止しようとする意見には、「気持ちはわかるがそこまで頑なになる必要はないのでは」と感じる。
では、「大東亜戦争」を使用する理由を以下に列挙する。
1 そもそも、開戦後の閣議決定による呼称が「大東亜戦争」であり、その際に支那事変と対米英戦争を合わせた戦争呼称として公式に成立している。
2 呼称と実態がほぼ合致している。
当時の日本は、大東亜新秩序を建設する目的を持っていたし、実際の戦闘地域も東アジア、東南アジアが中心であり、文字通り「大東亜」で行われた戦争であった。
確かに、海軍の戦闘は主に太平洋で行われたが、東アジアや東南アジアの海域でも海戦や航空戦が展開された。
真珠湾攻撃やミッドウェー海戦、マリアナ海戦等のみに焦点を当てると「太平洋」かもしれないが、開戦後の12月10日に日本軍がイギリスの戦艦や巡洋戦艦を沈めたのはマレー半島東方沖である。
さらに言うと、1で記述したように閣議決定の際に「対米英戦争」を合わせた呼称であると確認済みであるから、そもそも「大東亜」に「太平洋」が包含されている。
3 非常に個人的な理由(無視してもらって結構)としては、ブログ主の祖父がこの戦争に一兵卒として参加したことがある。
一回目の出征は、支那で戦闘に参加した後に無事生還した。
二度目にはあの激戦地ビルマ戦線に投入されて、死線を乗り越えて奇跡的に生き延びた祖父が日本の地を踏んだという事実が自分にとって重要な意味を持つ。
祖父が命を賭して奮戦した地は支那とビルマであるから、「大東亜」に他ならない。
蛇足だが、「支那」を使ったのはあの時代の空気感を出したいのが一つと、ブログ主は「支那」を使うなと主張する人には反対であるから(この理由は今回は省略する、長くなるので)。
同様に、「ビルマ」を使っているのも「支那」の場合とほぼ同じ理由からである。
次に、「大東亜戦争」の使用に反対する人たちに反論する。
以下に、「?」で代表的な反対意見を例示してから、「⇒」でそれに反駁したい。
?「大東亜戦争」の呼称は侵略戦争を肯定する意味合いを持つから使用してはならない。
⇒大東亜戦争を「侵略戦争」と規定する立場もあれば、一方で「防衛戦争」「アジア解放戦争」と考える人もいるのが現実である。
すなわち、一部の意見で異なる意見を一方的に「誤っている」と断定するのは不合理である。
ブログ主が「不合理」という言葉を選んだのは皮肉を込めている。
概して、「大東亜戦争」の呼称を憎む人の多くは「進歩史観」の持ち主である。
普段、彼らは「理性」を働かせ、「合理的」に判断することが大事だと語っているはずだが、、、
不思議である!
そもそも、あのような大規模な戦争をどうとらえるかは、観る人の歴史観や時代の趨勢等が大いに関わってくるため、簡単に「白か黒か」「善か悪か」のような図式にはなりえないと考えるのが「理性的」な態度ではなかろうか。
(この「理性的」も皮肉!)
ブログ主の印象では、大東亜戦争を100%侵略戦争だと頭から決めつけている人の意見を読むと「イデオロギー先行型」というか根拠のない「正義感」に酔っているというか、「自虐的」というべきか、自国を貶めようとする態度に違和感を覚えることが多い。
また、彼らは事実を無視して論考を組み立てていることも多々あり、説得力に欠ける印象を受ける。
⇒GHQによる使用禁止にいつまで囚われなけばならないのか?
戦後、日本はGHQの占領統治下にあった。
GHQは「大東亜戦争」の呼称を禁じ、「太平洋戦争」への変更を強制した。
昭和26年9月に日本はサンフランシスコ平和条約を締結し、翌年4月には同条約発効により独立をはたした。
つまり、その時点でGHQの方針に従う必要はなくなったのである。
「大東亜戦争」という呼称を弾圧したい人々に訊きたい、「あなたたちはGHQの亡霊ですか?」と。
まだ、いくらでも反論するネタはあるが、あまり感情的にならないうちに止めておく。
昨年以来の「ウクライナ・ロシア戦争」と今年10月に勃発した「イスラエル・ハマス戦争」の影響と祖父の軍歴を調べたりしたことから、最近は戦争・紛争に対して関心が強い。
目を南米に移すと、ベネズエラとガイアナの間で領土問題をめぐって緊張が高まっている。
人類の歴史は戦争の歴史である。