旧陸軍の兵籍簿には「賞典」の欄がある。
祖父の場合、ここに三つ記載がある。
その一つが、「〇〇年度特別大演習ニ際シ御紋菓ヲ下賜セラル」だ。
はて、御紋菓とは?
⇒菊花紋や神社仏閣などの紋、各家の紋所をかたどった落雁のこと。
もちろん、陸軍の場合は「菊花紋」の落雁であろう。
旧陸軍の大演習は明治時代から昭和時代にかけて、陸軍の戦闘力や指揮能力を試すために行われた大規模な演習である。
大演習には、天皇陛下や皇族、政府要人が観閲に訪れることが多く、その際に御紋菓が下賜されることがあった。
祖父が参加した「特別」大演習とは、天皇総監のもとに原則として毎年一回行われていた大規模な演習のことらしい。
その演習の詳細はわからないが、ある程度調べることができたら、後日また記事にするかもしれない。
祖父がどういう理由で御紋菓を下賜されたのかも不明である。
ただ、本人が存命中にいただいたという事実を孫としては喜びとしたい。
なぜ、上のような書き方をしたのか。
その理由は、戦前の御紋菓は戦地で亡くなった方への陛下からのお悔やみの品でもあったからだ。
とある老舗和菓子屋のホームページには、戦時中の昭和を彷彿とさせる御紋菓づくりの描写がある。
そこには、「ひとつひとつ、ていねいに作らなきゃいけないよ。これは兵隊さんの命と引換えのお菓子なんだから」という生々しいセリフが目を引く。
当然、兵士本人は戦死しているので、遺族に下賜されたのであろう。
一つの例として挙げられるのが、「誉れの子」と呼ばれていた戦争遺児たちである。
全国から戦争遺児が集まり、靖国神社に参拝する式典が当時(昭和14年~18年)実施されていた。
この行事の中で、子供たちに「御紋菓」が下賜される場面があったと伝えられている。
おそらく、我が祖父は下賜された御紋菓を自分の舌で味わったのだろう。
幸せな人である。
現在の皇室にも御紋菓は存在している。
(事実誤認であれば、すぐに訂正します)
やや古い資料で恐縮だが、「御紋型和三盆糖菓子」の製造についての情報がネットですぐに見つかる。
そこには、宮内庁が平成28年に挙げた「落札者等の公示」を見ることができる。
宮内庁が「御紋型」というからには「菊」の御紋ではなかろうか。
とすれば、当然、現皇室の御紋菓ということになる。
また、一般の有名どころでは皇室御用達の「菊焼残月」がある。
この菓子屋を宣伝するわけではないが、一例として挙げてみた。
「菊の御紋をあしらった『菊焼残月』は、古くから宮中に於いて各御儀式(宮中晩餐会や園遊会等の祝宴)の際に引き出物として使われている和菓子でございます」と製造者はアピールする。
戦前の「御紋菓」と現在の「御紋菓」は様々な意味で異なるであろうが、今回、祖父の兵籍簿を調べる際に思いがけず出会った存在が戦前の「御紋菓」である。
「菊の御紋」を型どった落雁の外観はどのようなものだったのか。
探せば、どこかに写真などが残っているのだろうか?
いつの日か、そういう資料に遭遇すればまた記事にしたいと考えてはいる。
最後に一言。
最近の若い人は、「落雁」を食べたことはあるのだろうか?