朝ドラ『らんまん』(9月19日)南方熊楠と徳永教授(松村任三)

朝ドラ『らんまん』は面白い。
熊楠が登場し始めてから、特に。
登場といっても、手紙や標本だが。
と思いきや、本日の『らんまん』では、徳永教授の口から、熊楠が「暴行で収監された」とのセリフが、、、、

当ブログでも取り上げた、熊楠が18日間留置場に拘留された例の一件。
ただ、「暴行罪」ではなかったような気がするが。
ブログ主の勘違いでなければ、「家宅侵入罪」だったはず。
この点に関しては、当ブログでまた触れる予定。

まあ、ドラマはドラマ、史実は史実。

さて、今回は熊楠と徳永教授の関係について少しばかり触れたい。

劇中、徳永教授はとにかく熊楠が気に食わない様子。
万太郎には、熊楠と関わり合いになるな、と強く警告する。
熊楠が国策である「神社合祀令」に反対しているのが気に食わない。

では、徳永教授のモデルである松村任三博士と南方熊楠はどんな接点があったのか、無かったのか。

史実を確認しよう。

実は、結構ややこしい。
熊楠は、1911年(明治44年)11月に松村任三教授に宛てて、反対意見書を二通書く。
ただし、最初にこの手紙を閲覧したのは、松村ではなく、柳田国男であった。
熊楠と松村には面識が無かったため、柳田が仲介の労をとった形である。

柳田はこの手紙を、独自にまとめ、小冊子の体裁を整え、私家版として自費出版した。
これが、有名な『南方二書』である。
柳田は、この小冊子を数十名の関係者・識者に配布した。
当然、松村の元にも届いている。
牧野富太郎の手元にも。

ドラマでは、徳永教授は熊楠からの手紙を読みつつ、「またか、、」と、ウンザリといった表情を見せる。
現実には、松村教授が読んだのは、冊子形式の『南方二書』だったはず。
万太郎が『南方二書』を手に取る場面もないが、牧野博士はおそらく読んだのではないだろうか。

実際問題として、帝国大学の松村教授(ドラマでは徳永教授)が表立って国策に反対することは難しかっただろう。
ドラマの万太郎は合祀反対のため、大学を辞するが、実在の牧野博士がどう動いたのかは、寡聞にして知らない。

さて、本日の『らんまん』では、万太郎はいさぎよく、徳永教授に辞表を提出する。
現実の牧野富太郎は、1939年(昭和14年)に77歳になるまで東京帝国大学理科大学の講師をつとめている。
その間、1927年(昭和2年)には帝国大学から、理学博士を受けた。
ドラマはドラマ、史実は史実。

今日のドラマ終盤で、神社合祀政策が終息したことも描かれた。
これは、史実通りで、1920年(大正9年)、神社合祀令は貴族院において正式に廃案となる。

ということは、、、、
え、もしかして、もう熊楠は登場しないの?
それは、チョット、何と申しますか、寂しい~!

明日からの『らんまん』、どうしようかな~。
熊楠の出ない『らんまん』なんて、、、
って、もともと、牧野富太郎が主役だよ!
牧野ファン、万太郎ファンの皆様、大変失礼いたしました。

ワタクシが間違っておりました!