朝ドラ『らんまん』(9月14日)に三日連続で南方熊楠が登場!

全国の熊楠ファンの皆さん、NHK朝ドラ『らんまん』を視てますか?
令和5年9月12日の放送回から、今日で三回連続、我らが南方熊楠が朝ドラを賑やかに沸騰させております。

さて、本日は、冒頭から徳永教授が万太郎に、「深入りするな」の警告の場面。
前回にもあったように、熊楠が国策である「神社合祀令」に反対しているが、万太郎にはかかわりになるなとくぎを刺している。
当時の帝国大学教授の立場なら、国の政策に逆らわないのは当然と言えば当然のこと。
だが、万太郎の心はもやもや、ざわざわ。

では、今回は神社合祀令とか神社合祀政策なるものをごく簡単に説明。

*神社合祀令とは
⇒明治39年(1906年)に西園寺内閣において出された勅令

*どういう政策?
⇒ある地域の複数ある神社を一つにまとめて、全国の神社数を減らすという政策
⇒例えば、◎✖県の岡谷村に、「英吉神社」「磯塚神社」「北御門神社」の三社があるとする。
前者の二つを廃止して、「北御門神社」に統合する。
当然、岡谷村の神社数は三つから一つになる。

*弊害は?
⇒社祠を取り壊すことによって、それをとりまく森林(昔風に言うと、鎮守の森)や自然環境が破壊されること

*弊害はそれだけ?もっと、ドロドロしたことは?
⇒神社を壊し、森林を伐採し、更地にする。
⇒更地となった跡地を売却すれば、利益がでる。
⇒伐採した木々も売却すれば、利益がでる。
⇒地元の有力者や役人の懐に金が転がり込む(汚職など)。
⇒利権を得るために、有力者や役人が合祀をどんどん進めていく。

まあ、当ブログでは、本当にごくごく単純化して説明。
この政策に、南方熊楠が体を張って、反対運動を行ったのです!
その流れで、投獄された件は当ブログでも簡単に紹介済み。

その後、熊楠の強烈な抗議や、その他の知識人たちの反対運動も功を奏したのか、明治43年(1910年)以降には、合祀活動は勢いを失っていく。
そして、大正9年(1920年)に貴族院にて神社合祀廃止が決議され、正式に中止。

当ブログで、熊楠は「体を張った」と書きました。
実は、この反対運動に熊楠は自費7000円(当時)を投じているんですよ。
投獄されるは、私財をなげうつは、まさに大活躍!
男前ですよ!

さて、今回の『らんまん』で心がざわついている万太郎。
かつての仲間、野宮から神社合祀政策による神社統廃合で鎮守の森が悲惨な状況にあることを伝えられる。
居ても立っても居られない万太郎。
どうする、万太郎?
熊野に行くのか?
熊楠と面会するのか?(史実では、牧野博士と熊楠は会ったことはなし)

どうする、万太郎?