前回の対談では、岡谷修行僧の茶目っ気が炸裂。
磯貝老師の解説が、本筋から何度も脱線することに。
さて、今回はどうなりますことやら。
岡谷修行僧:老師、本日もよろしくお願いします。
えっと、前回は、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ唯一神を信仰していると考えてもいいだろう、みたいな感じで終わりました。
では、続きから進めてください。
磯貝老師:おう、じゃあ、始めるか。
最後発のイスラム教は、先行のユダヤ教とキリスト教を兄弟宗教のように見なしている面もある。
岡:え、でも、老師、この三つの宗教って歴史の中で、さんざん紛争というか戦争をしてませんか。
なんか、しょっちゅう三者間でケンカしているイメージがありますよ、正直に言わせてもらって。
磯:ハハハ、確かに。
まあ、今は、三宗教の諍いは近親憎悪的な争いというか、口の悪い学者に言わせれば、一種の「内ゲバ」みたいなもんだという程度にしておこう。
で、イスラム教の立場に戻ると、ユダヤ教徒やキリスト教徒は「啓典の民」ということになる。
岡:老師、啓典の民とは?
磯:それはな、「同じ神に由来する啓示の書を持つ人々」ということで、前回の対談で言ったように、三つの宗教はイスラムから見ると、同一神を信仰しているわけだ。
だから、イスラム教徒は、自らの聖典『クルアーン』とユダヤ教の『旧約聖書』ときリスト教の『新約聖書』を同じ唯一神から示された『啓典』だと考えたんだ。
岡:う~ん、なんだかなあ、それなら揉めずに仲よくすればいいのにな。
今も、イスラエル・ハマス戦争は続いてますけど、、、、
磯:まあ、その辺は、何というか、ユダヤ教徒やイスラム教徒にもいろんな立場・考え方があるしな。
その問題は、今回は省くとして、、、
イスラムの聖典『クルアーン』に話を戻すと、その中には、モーセやイエスも登場するんだよ。
岡:え、本当ですか?
なんか、意外ですね。
磯:クルアーンでは、モーセは「ムーサー」、イエスは「イーサー」と呼ばれててね、、、「イーサーはマルヤムによって処女懐胎された」なんて書かれている。
この「マルヤム」というのが、イエスの母「マリア」のこと。
結局、イスラム教は後発宗教として、ユダヤ教とキリスト教の影響をもろに受けているんだな、これが。
岡:そうか、イスラム教の成立が7世紀のことだから、当時のアラビア半島ではユダヤ教もキリスト教も広まっていた事実を頭に入れておかないとですね。
磯:そうだよ。
旧約聖書も新約聖書も、随分以前から存在しているから、聖書の内容や様々な伝承も当時のアラブ人社会に伝わっていた。
また、北にはゾロアスター教を国教とするササン朝ペルシャがあったから、その影響も全くないとは言えないだろうし、、、
ビザンツ帝国(=東ローマ帝国)の国教は、周知のとおり、キリスト教だ。
アラブ人は、ユダヤ教徒やキリスト教徒などとの交流を通じて、一神教の教えに接していたようだな。
ん、今日は脱線しないな~、岡谷修行僧。
岡:お、実は期待してますか、、、ただ、今日はしっかり説明してもらいたいので。
じゃあ、この辺で、ユダヤ教の教えというか、ユダヤ教徒の考え方の基本的なところを話してもらえると。
磯:うん、まずは、「選民思想」で、ユダヤ人は唯一神ヤハウェから選ばれた民であると自らを位置付けている。
そして、その神が与えた律法(トーラー)を守り、聖典の学習や儀礼を重視しながら、救済されることを期待していた。
あと、前回でも確認したように、ユダヤ人はイスラエル王国やユダ王国も滅ばされるし、「バビロン捕囚」という民族苦難も経験しているよな。
だから、その苦しみの中で、自分たちは選民だから、戒律を守って暮らしていれば、救世主が現れて救ってもらえるという信念を確固たるものにしたんだ。
岡:なるほど~、ユダヤ教の核は「選民思想」「律法主義」「救世主の待望」あたりにありそうですね。
磯:まあ、大雑把に言うと、そんな感じかな。
もちろん、歴史の古い宗教だから、時の流れにつれて、考え方の違いから派閥が生まれてくる。
律法遵守を強調するパリサイ派、儀礼の遵守を大事にするサドカイ派、神殿儀礼の形式化を批判し、禁欲的なまでに律法の遵守を徹底しようとするエッセネ派などがある。
岡:はあ~、どんな宗教も同じですね。
仏教も大乗と小乗に大別されるし、イスラム教もスンナ派とシーア派でしたっけ、、、派閥というか学派というか、宗教に変容・分裂はつきもの。
で、老師、続きをお願いします。
磯:では、次に、三宗教に共通するキーワード「預言者」について簡単に。
預言者とは、神と直接交流して神の「言葉を預かる」者のことだな。
ユダヤ教では、多くの預言者が神の言葉を人々に伝えてきたわけで、その預言をまとめたものが『旧約聖書』なんだよ。
キリスト教は、ユダヤ教から派生したものだから、『旧約聖書』が伝える預言者をユダヤ教同様に預言者として認めている。
岡:なるほど。
キリスト教は、ユダヤの『旧約聖書』をそのまま受け継いでいるわけですか。
じゃあ、イスラムの場合、預言者についてはどんな感じなんですか。
磯:イスラム教になると、過去の預言者たち(ユダヤ教の預言者やキリスト教の開祖イエスを含めて)は神の言葉を正しく伝えることができなかったと考える。
つまり、イスラム教の開祖ムハンマドだけが神の言葉を正確に理解した唯一の預言者とみなして、「最後の預言者」と呼んでいる。
岡:イスラム教の主張も、最後発の宗教ならではの教義ですよね。
釈迦仏教を後発の『般若系統』が否定して、その『般若系統』をさらに後発の『法華経』が否定して、、、のパターンと同じと考えていいのでは。
後発の宗教は、先発の宗教を超えようとする、の図式でしょ、要は。
磯:まあ、宗教なんてそんなもんだよな。
さて、さっき話したように、ユダヤ教は「救世主」の出現を待望する。
でも、キリスト教の場合は「イエス=救世主」と考えているから、そこがユダヤ教と相容れない最大のポイントだ。
イエスを救世主だと信じてた者たちがイエスの元に集まっていった、これが後世から見るとキリスト教の始まりだろう。
実質は、ユダヤ教内のイエス派ぐらいだったんだろうけど。
岡:当然、ユダヤ教側はイエスを救世主だとは思わないから、反発しますよね。
磯:うん、ユダヤ教の指導層や保守派にとっては面白くないよな。
だから、領主やローマ総督に訴え出て、、、いろいろあって、その後は知っての通り、イエスは十字架にかけられた。
岡:老師、それはそうと、イエスと「イエス・キリスト」の表記は使い分けとかあるんですか。
磯:そこは、「救世主」がらみの問題で、「キリスト」というのはギリシア語で「救世主」を意味する言葉だよ。
だから、キリスト教徒はイエスを救世主と信じるから「イエス・キリスト」と呼んでいるわけ。
あと、救世主を「メシア」と表記するのがユダヤ教徒。
このメシアはヘブライ語に由来している。
ユダヤ教徒にとっては、イエスはメシアではないから、今なお、メシアの出現と救済を待ち続けているようだね。
岡:なるほど、「救世主=メシア(ヘブライ語)=キリスト(ギリシア語)」ということでしたか。
疑問が解けました。
それにしても、今回は拙僧がチャチャを入れなかったから、スムーズに流れてますね。
あ、前回の説明で「イエス・キリスト」の英語表記は「Jesus Christ」ってありましたけど、「クリスマス」は「Christmas」で、綴りが似ているから、、、
磯:うん、岡谷修行僧の推測通り、クリスマス(Christmas)はキリスト(Christ)のミサ(mass)、つまり、「キリストを祝うミサ(礼拝)」という意味だな。
しかし、歴史人物としてのイエスの誕生日は諸説あって、確定していないよな、3月とか5月とか、、、
岡:まあ、拙僧は『般若心経』の徒ですから、関係ないですけど。
老師、今日は真面目にやったので、そろそろ終わりにしませんか。
磯:さては、『般若心経』読経の予定時間が近づいてきたわけだな。
岡:そういうことです。
また機会があれば、今回の続きをお願いします。
磯:そうだな、まだ、三つの宗教のほんの上っ面しか話せていないしな、、、
まあ、常連さんの反応を見ながら、第三弾をやるかどうかを決めるとするか。
岡:それでいきましょう。
本日は、お忙しいところありがとうございました。