高市早苗氏の「靖国参拝継続宣言」に思う ~ 自民党員ではないけれども、、、

自民党総裁選に立候補している高市早苗氏が、総理に就任した場合も靖国神社を公式に参拝すると発言している。
これを巡って、各所から批判が起こっているようだ。

東京大学の準教授に、China出身の李昊(り・こう)という人物がいる。
このChineseが、某テレビ番組内で、高市氏の発言を激しく非難したようだ。
その攻撃の内容は以下のようなもの

「私も中国出身ですけれども、感情的に許せる要素はゼロですね」
「侵略者を神と奉っているところに日本の総理大臣が参拝するっていうのは、日本の大戦に対する反省を全て無にするもの」

この準教授の個人的な背景は知らない。
もしかしたら、本人の祖父母やさらに上の世代の身内や親戚が日本との戦争で命を落としたのかもしれない。
その場合なら、旧日本軍や軍人に対する憎悪・怨恨は十二分に理解できる。

それでもなお、日本の首相による靖国公式参拝に外部から批判することは、受け入れがたい。
一言で言えば、それは単なる「内政干渉」だからだ。

また、反日教育を受けたChineseが、感情的に反発したいのならば、勝手にすればよい。
だが、それも、ただの「内政干渉」にすぎない。

ところが、こういうChineseのみならず、日本人の中にも「A級戦犯も合祀されている靖国神社に政治家が参拝するのは許されない」との妄言を発する、不勉強な左翼・リベラルも多い。

ということで、今回は靖国神社について、すこしばかり紹介する記事としたい。

◎ 靖国神社に祀られている祭神数

*明治維新 7751柱
*西南戦争 6971柱
*日清戦争 13619柱
*台湾征討 1130柱
*北清事変 1256柱
*日露戦争 88429柱
*第一次世界大戦 4850柱
*済南事変 185柱
*満州事変 17176柱
*支那事変 191250柱
*大東亜戦争 2133915柱

周知のとおり、靖国神社は明治2年に、「招魂社」として創建された。
その後、明治12年に「靖国神社」と改称される。
従って、古くは戊辰戦争や西南戦争で命を落とした人々も靖国に祀られている。
さらに、幕末の志士、例えば、吉田松陰・高杉晋作・坂本龍馬などの人物も祭神に数えられる。

祭神の大部分は軍人だが、従軍看護婦や女学生などの民間の方々も多く含まれる。
ソ連が一方的にシベリアに抑留したせいで、現地で亡くなった日本人も祭神だ。
さらには、日本人だけではなく、台湾や朝鮮半島出身の方々も合祀されている。

現代のChineseの一部(それとも、大部分?)が、共産党の一面的な歴史観に基づく「反日教育」を受けて、靖国神社に対して憎悪をたぎらせるのは、日本人にはいかんともしがたい。
ただ、その反日感情と日本の首相による靖国参拝を非難することには、一線を引いてもらいたい。
前述したように、それはChinaによる日本への「内政干渉」だからだ。

また、日本人でありながら、「靖国にはA級戦犯も合祀されているから、よろしくない」等の世迷言を吐くものは、ただの勉強不足か、ひねくれ者か、どこかの国の工作員あたりだろう。

◎ 「A級戦犯」など、そもそも戦勝国がでっち上げた欺瞞であり、虚構である!

もう、当ブログで何度も書いたように、「A級戦犯」などという概念は、当時の国際法上には存在しなかった。
戦勝国が、勝手に「平和に対する罪」なるものを捏造したのである。
要は、「事後法」であり、当時の国際法に100%違反するものだ。

従って、東京裁判とは、完全な茶番劇であり、勝者が敗者に一方的にリンチを加えた残虐な行為である。
だから、「A級戦犯だから、、、、、」という主張には全く意味がなく、何の正当性も存在しない。

日本の左翼やリベラルのほとんどは不勉強だから、この程度の事実も知らない。
ごく一部のインテリ左翼やリベラルはこの辺の事情を知ってはいるが、不誠実なので誤魔化している。

だから、言うまでもなく、日本の政治家が靖国神社を公式参拝することには、何の問題もない。
高市さん、もし首相に就任したら、堂々と靖国へ公式参拝してください。

◎ 連合国が捏造した「戦犯」という虚構で処刑された日本人は、すでに名誉回復されている。

戦後、GHQによる占領統治を受けた日本は、昭和26年(1951年)にサンフランシスコ講和条約に調印した。
同条約は、翌年(昭和27年)に発効する。
その昭和27年の4月に、国会は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を成立させた。

そして、昭和28年8月に、上記の援護法の一部を改正して、いわゆる「戦犯」にもこの法律を適用することを決めた。
しかも、当時の自由党、改進党、左右両派社会党などの全会一致でこの改正が成立したのだ!
(社会党も賛成していることから、この当事の「左派」は現在の「左派」よりは、マシだということがわかる)

加えて、いわゆる「戦犯処刑」という用語が消えて、以後の公文書では「公務死」と書かれるようになった。
つまり、この時点で連合国の陰謀による「戦犯」という、もともと虚構の設定であったものが、日本から姿を消したのである。
戦勝国の理不尽なリンチにより処刑された日本人の名誉回復が、ここに行われたのだ。

この当時の衆議院における討議の資料には、様々な議員たちの興味深い発言が記録されている。
また、機会を見て、紹介したいと思う。

再度、繰り返したい。
政治家の靖国公式参拝には、何の問題もない。

◎ おわりに

何度も書いたが、当ブログには戦争を美化する意図は全くない。
戦争とは、政治の延長である。

あの時代に数多くの人々が、様々な国・地域で命を落とした。
19世紀も20世紀も、多くの国々が、「武力」に訴える外交を行ったのだ。
そういう意味では、すべて、当時の国際政治の犠牲者である。

歴史とは、常に「勝者の歴史」である。
日本では、これを昔から、「勝てば官軍負ければ賊軍」という。
連合国は、敗者日本を「悪玉」と決めつけるために、当時の国際法を無視して、東京裁判というリンチを行った。
この「東京裁判史観」が、今回の「靖国参拝」をめぐる議論だけではなく、多くの分野で甚大な悪影響をもたらし続けている。

私は、自民党員ではないし、熱烈な高市ファンでもない。
だが、政治家の靖国公式参拝には賛成の立場である。