当ブログを見てくれているのは、友人たちだが、同じ大学出身とはいえ読書傾向はそれぞれかなり異なるようだ。
部活の同期である磯貝の意見では、私の「読書感想」は一般受けしないとのこと。
ということは、呉智英という評論家も友人たちは知らない可能性が大である。
さて、「呉智英」は「くれ ともふさ」と読む。
もちろん、ペンネームである。
呉氏は、読み方は「ご ちえい」でも可、と言う。
読者やファンは、氏を「ゴチエイ先生」と呼ぶこともあるそうだ。
この呉智英氏(以下は、敬称を省く)がかなり以前から「選挙権免許制度」を導入すべきだと主張している。
今回は、呉の提唱する「選挙権免許制度」について簡単に紹介する。
1 日本国民に一斉に常識程度(中学卒業程度)の試験を課し、合格者のみに選挙権を与える。
2 さらに、免許を等級別にして、一種、二種、三種などを設け、各種ごとのポイントを定める。
例えば、一種は1ポイント(=1票)、二種は2ポイント(=2票)、三種は3ポイント(=3票)など。
3 選挙の際に、有権者は自分の持つポイントを候補者に自由に配分投票する。
これにより、死票が生じる可能性が低減する。
呉がこのような「選挙権免許制度」(=一種の「制限選挙制度」)を提案する理由は以下の通り、
*権力の暴走を防ぐため(この「権力」とは「主権者である国民」を指す)である。
⇒ポピュリズムや衆愚政治を最も確実に、最も安価に防ぐ方策である。
*普通選挙制度が良い政治制度だとする根拠は何もない。
⇒ただ何となくそう思い込まされているだけである。
くれぐれも誤解のないようにお願いしたいが、ここまでブログ主は自分の意見を一切述べてはいない。
ただ、呉の考えを彼の評論の中から紹介しているだけである。
さらに、呉の意見をみていく。
いわゆる「三権分立」について呉は以下のように言う。
*司法に関わる者には極めて難度の高い試験(=司法試験)が課されている。
*行政の場合も、高難度の試験を突破しなければならない。
*ところが、立法に関わる者(=議員)には資格も免許も要らない。
これは、選挙で選ばれているからである。
⇒だからこそ、選挙権を野放しにせずに「免許制」にする必要がある。
つまり、呉が言いたいのは、ある程度の知識を持つものだけが投票権を持てば、不適格な候補者には投票しない、ということだ。
この民主主義を根源的に疑う評論家は、有権者の質(意識も含めて)を高めることが、衆愚政治の防止につながると想定している。
ブログ主が不勉強なのか、日本でこのような「選挙権免許制度」=「一種の制限選挙制度」を提案する識者を一人も知らない。(誤認であれば、すぐに訂正する)
ただ、アメリカに目を向けると、まったく同じ考えではないが、やはり民主主義に懐疑的な態度をとる人物にJason Brennanがいる。
彼は著書「Against Democracy」の中で、エピストクラシー(epistocracy)のほうが民主主義よりも優れた制度かもしれないとしている。
*「エピストクラシー」とは、政治的知識を証明できる人の票を証明できない人の票よりも多くするという制度である。
ブログ主は、まだ「Against Democracy」の本文は読んでいないが、英文サイトで概要紹介や書評を読む限り、かなり興味深い印象を受ける。
呉とBrennanの考えは重なる部分もあるようだ。
また、この「Against Democracy」をじっくり読む機会があれば、記事の中でくわしく取り上げるかもしれない。
そもそも、ひと昔前は、「ポピュリズム」も「衆愚政治」も世間一般ではあまり聞かれない言葉であった。
それが、頻繁に話題に上るようになった現在は、もしかしたら、時代の大きな転換点なのかもしれない。
今回は呉智英の提唱する「選挙権免許制度」を簡単に取り上げた。
興味ある方は、呉の『日本衆愚社会』(小学館新書)を読んで欲しい。
最後に、
磯貝~、この記事も一般受けしないよな、やっぱり!
ハハハ!