川端康成は借金の天才だったらしい。
飲み歩きもツケ。
ツケがきかなくなると、編集者や作家仲間を呼び出して払わせた。
ん?借金?
ツケは借金だが、それを他人に払わせるのだから、、、
川端が学生時代に菊池がいろいろと資金援助したようだ。
川端は、容赦なく?菊池からお金を引き出した。
その実例を、川端の親友、今東光が『毒舌文壇史』の中で語っている。
聞き手は梶山季之。
以下に引用する。
今「ときにはいっしょに菊池寛の家へ行ったこともある。冨坂にいたころですよ。菊池寛はな、いつでも将棋を独りでやってるんだ、本を見ながら。そこへ川端がミミズクみてえな顔して(まねてみせる)。ほんとにミミズクみてえな顔してた(笑い)。菊池寛、なんとも言わないんだよ。川端には、もう呑まれたみたいになってね。(菊池寛のカン高い声色で)「きみはなんで来たんだい」って、おれにばっかり言いやがるんだよ(笑い)。それでも、川端、言わない。一時間ぐらい黙っていてから、「二百円要るんです」、いきなりぽんと言うんだ。」
梶山「大正十年の二百円?すごいな。」
今「なにに使うかなんて聞かないよ。川端を相手じゃだめだと思うんだな。「いつ要るの」「今日」(笑い)。まるで借金取りに行ったみてえだ。すると、大きな財布から十円札そろえて出す。「さよなら」、それでおしまい。」
梶山「借用書なし?」
今「いまでも川端はそうですよ。絵を買うったって、何千万もするやつを、「それいただきましょう」だからね。どうするんだか見当つかん。おれなんか逆立ちしても、あんな芸当できないよ。金が無くとも、びくともしませんな。「あるやつが出せばいいんだから」ってね(笑い)。強盗だね、まるで。」
なんとも凄いエピソード。
進士素丸『文豪どうかしてる逸話集』に同様の話が紹介されているが、その出典として、梶山季之『借金の天才 川端康成の金銭感覚』が挙がっている。
もしかしたら、梶山は今東光和尚から川端のことをいろいろと聞いて、ネタ元にしたのかもしれない。
というのも、梶山は今東光和尚が主宰した「野良犬会」の会員であり、親しく交流していたからだ。
さて、菊池から取りたいだけ取っていった川端だが、ギブアンドテイクの面もあったのではないか?
菊池作とされる『不壊の白珠』や『慈悲心鳥』は、様々な研究から川端による代作である可能性が高いという。
『慈悲心鳥』は婦人雑誌『母の友』に、1921年(大正10年)から1922年(大正11年)にかけて連載されており、その後、出版されて映画にもなっている。
『不壊の白珠』は、同じく『母の友』に、1928年(昭和3年)から1929年(昭和4年)にかけて連載され、その後、出版され映画化も行われた。
なかでも、『慈悲心鳥』は、三度も映画化されたので、権利を持つ菊池には、かなりの利益をもたらしたのではなかろうか。
その意味では、代作疑惑が事実ならば、川端の行為は作品の報酬を受け取ったということになる。
いずれにしろ、昔の文豪には今の物差しでは測れないスケールの大きさがある。
菊池も川端も豪傑である!