蛇足ですが、九段理江『東京都同情塔』新潮社(芥川賞)について

小説の書き出しは重要である。
この『東京都同情塔』については、すでに当ブログの「読書感想」で記事にしたが、冒頭の第一文について蛇足ながら言及したい。

こちらが、あれこれ言う前に、まずこの小説の最初の数行を引用する。

「バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただし、この混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない」

先の記事で、この第一文「バベルの塔の再現」を見て、ある程度の知識がないと著者の意図が理解できないだろう、と書いた。

さて、「バベルの塔」について簡単に触れる。
(百も承知のかたは、この記事を読む必要はありません)

*バベルの塔とは、旧約聖書の「創世記」に登場する伝説上の高層建築物の通称である。
*人間が天(=神の領域)にも達するほどの高い塔を建てようとしたが、その思い上がりに神が激怒してその人間たちが話していた言葉を乱して互いに理解できないようにした。
*この伝説は、人間が異なる言語を話すようになった原因を説明するためにかつては用いられた。
*また、バベルの塔は「人間の驕りの象徴」とされ、今日でも「思い上がった実現不可能な構想」の代名詞となっている。

上記のことを背景知識として持っていれば、この小説の導入部分をすんなり理解できる。
ただし、引用の第三文「ただし、この混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない」とあるから、ここで読者は、「じゃ、何なんだ?」と興味を惹かれるという仕掛けになっている。

読み手に「バベルの塔」と「シンパシータワートーキョー」との相違点は何か、と思わせておいて、その直後に回答を出す構成になっている。
だが、その部分は引用しないので、興味がある人はぜひ本書を読んで欲しい。

まあ、「バベルの塔」のエピソードは有名だから、知っている人は多い。
ただ、旧約聖書などにまったく興味がない層は、「なんのことやら」状態に陥るので、その意味では、九段理江さんは読み手を突き放していることになる。

さて、ネット上で九段さんを批判・非難している人たちは、この最低限の背景知識を持っているのかな?

ここで終わろうかな、と思ったが、もう一つ蛇足を。
この小説の最終ページの中ほどにも、読者の知識を試している文言がある。

それは、「Ecce homo 見よ、彼女だ」というもの。
再度、問いたい、匿名で九段さんを攻撃している者どもへ、「あなたたちは、この言葉の出典を知っていますか」と。

この「Ecce homo」はラテン語で、通常は「見よ、この人だ」とか「この人を見よ」と和訳される。
ラテン語版新約聖書の『ヨハネによる福音書』(19:5)を出典とするものだ。
ちなみに、欽定訳聖書では、「Behold the man!」と英訳されている。

では、蛇足がくど過ぎるのもよろしくないので、この辺で止めることにする。

繰り返しになるが、九段理江『東京都同情塔』は読みごたえのある小説で、芥川賞にふさわしい。
様々なテーマを読み取れるので、読後にどの点が印象深いと感じるかは、読み手次第だと思う。
ぜひ、一読のほどを。

追記
後半部分にちょっと皮肉っぽい書き方をしたが、当ブログの愛読者さんに向けたものではない。
ネット上で、九段さんを非難している連中に対して怒っているのだ。
ああいう奴らは、読みもしないでグダグダ言うから、、、
まあ、あの者どもには読んでも理解できまいが、ハハハ!