笠置シヅ子の周りには大物が多い。
当ブログでも紹介済み、南原繁東大総長が笠置の後援会長。
今回は鈴木大拙の不肖の息子が登場。
この「不肖の息子」はブログ主の命名ではなく、昭和のメディアによるもの。
まずは、鈴木大拙をごく簡単に紹介。(有名だから、蛇足か?)
本名は鈴木貞太郎(1870~1966)という。
日本の禅文化を海外に紹介した仏教学者で、約100の著作のうち23冊が英語で書かれている。
禅が海外で知られている大きな理由の一つが鈴木が英文で禅を解説したことにあると指摘する人は多い。
一般に、日本人が書いた英文著作と言えば、以下の三つが有名である。
*内村鑑三「How I Became a Christian」
*新渡戸稲造「Bushido, the Soul of Japan」
*岡倉天心「The Book of Tea」
しかし、識者の中には鈴木大拙の「Zen and Japanese Culture」を高く評価するものも少なくない。
残念ながら、不勉強なブログ主はこの英文著作を読んだことはない。
代わりにと言ってはなんだが、大拙の「An Introduction to Zen Buddhism」が手元にあるので、ほんの少し実際の英文を紹介したい。
明治生まれの日本人が書いた英語である。
Buddhism in its course of development has completed a form which distinguishes itself from its so-called primitive or original type ー so greatly, indeed, that we are justified in emphasizing its historical division into two schools, Hinayana and Mahayana, or the Lesser Vehicle and the Greater Vehicle of salvation.
現代の日本仏教界に自分の宗派の教義や仏教全般について、大拙のように英語で堂々と自分の意見を発表できる僧がはたしてどのくらいいるのか?
この大拙氏、1949年には文化勲章を受章しており、また1963年にはノーベル平和賞の候補にも挙がっていた。
(残念ながら、受賞は逸している)
さて、この大拙氏の不肖の息子とは誰か?
答は、鈴木勝(1916~1971)という人物。
幼き頃からやんちゃ坊主で暴力事件を起こしたりして中学校を転校する。
停学処分を受けたが、父大拙の嘆願により首がつながった。
大学は同志社に進学した。
英語が達者で卒業後はジャパンタイムズや同盟通信社で働き、終戦後は英文雑誌記者などの仕事をした。
戦時中に上海で服部良一と親しくなる。
この辺で、笠置との接点がおぼろげに。
そう、この鈴木勝は笠置の代表曲「東京ブギウギ」の作詞者である。
実際は、鈴木の妻が勝のアイデアを基に作詞したそうだが、その後に服部と鈴木が二人で手直ししたとのこと。
では、「不肖の息子」とはどういうことか?
鈴木勝は、1961年にバーの女性従業員(未成年)を監禁・強姦して逮捕されたのである。
当時の週刊誌は、父大拙の偉大さと息子の勝を比べて、「昭和最大の不肖の息子」と報道した。
もちろん、当時、大拙は存命である。
しかし、実は大拙と勝には血縁はない。
大拙の日記や書簡から勝は養子であることが確認されている。
大拙は勝が鈴木家に来た日を勝の戸籍上の誕生年月日としている。
勝の出生に関しては、詳細は不明だが、父はスコットランド人で母は日本人であるという説が有力である。
それにしても、笠置シズ子のことをちょっと調べると、なぜこうも大物が出てくるのか。
南原繁しかり、鈴木大拙しかり。
不思議である。