最近、出番がなかった磯貝から連絡が入った。
この暑さにも負けず、相変わらず元気いっぱいの様子。
久々の対話でも大活躍、いつもの磯貝節をご堪能あれ。
磯貝:おい、知ってるか、岡谷がな~、最近、『般若心経』にハマっているらしい。毎日、必ず、一度は読経しているみたいだ。どうしちゃったのかな~?
ブログ主:う~ん、どういう心境の変化か、まあ、昔から読めない行動をする男だからな。でも、いいじゃないか、変なカルトに騙されたんじゃなくて、あの『般若心経』なんだから。しっかり、「空」の思想を生活の中で活かしていったら、、、
磯:ということで、今回は『般若心経』をテーマにして、大いに語ろうじゃないか。
ブ:いいね~。じゃ、磯貝のほうから好きな切り口で自由に進めてくれよ。
磯:わかった。まず、周知の通り、『般若心経』は数ある『般若経』系統のお経の一つだな。まあ、大雑把に言うと、多種多様な般若経系統の教えをコンパクトにまとめたものが、『般若心経』だ。何といっても、「色即是空 空即是色」の部分は誰でも知ってる感があるし、全体でも280文字に満たないほどの短さ。読経しやすいし、写経にも適している。
ブ:俺も、全文は無理だけど、途中までなら暗記してるよ。そもそも、般若経系は、もちろん大乗仏教の経典だよな。
磯:うん、出だしに、「観自在菩薩」が出てくるからな、一目瞭然だよ。観自在菩薩(=観音さま)という「菩薩」が登場する時点で、釈迦仏教(=釈迦本来の教え)とは距離があると考えるのが妥当だ。原始仏教(=釈迦本来の教え)には、如来・菩薩・明王・天といったジャンルはないからな~。
ブ:ジャンルときたか~、ハハハ。その言い方はわかりやすいな。
磯:そうか? まあ、その観音菩薩が、シャーリプトラに仏教思想の本質・精髄を語るという構成になっている。シャーリプトラは漢訳だと「舎利弗」で、一応、実在の人物で釈迦の高弟だ。釈迦十大弟子の筆頭で、「智慧第一」と称されているな。
ブ:まあ、舎利弗とか目連なんかが有名だよな、お釈迦様の直弟子の中では。
磯:だな。で、般若心経の中心といえば、「空」の思想だけどな。これが、なかなかやっかいというか、まあ、俺なりに解釈すると、「色即是空=あらゆる物質的現象に実体はない」=「あらゆる事象は相互依存の関係によって成立している」と言い換えるのがわかりやすいと感じているよ。
ブ:うん、なんとなく理解できそうな気がしてきたけど、ちょっと、具体例か追加説明が欲しいな~。
磯:ナーガルジュナ(龍樹 りゅうじゅ 150~250年頃)という高僧が大乗仏教の大成者とされているんだよ。この人物によると、「空」=「縁起」だというんだ。まあ、「相依相関の縁起」とかいう用語もあるようだな。この説だと、「『一』がなければ『多』はないし、また同様に『多』がなければ『一』はないわけだから、存在(もの)は依存関係によって生じるのであるから、個体としての存在のないものである」とか言ってるな。
ブ:う~ん、わかったような、わからないような、、、
磯:確かにメンドクサイよな。もうちょっと、説明を足すと、「短い」という身近な概念は「長い」という概念がなければ意味をなさないよな。だから、「長」と「短」は関係によって成立しているわけだ。また、俺は、「弟」からみれば「兄」なわけだが、もし弟がいなかったら、俺は「兄」として存在はしていないことになる。だから、「長」と「短」、「兄」と「弟」はもともと実体として「ある」のではなくて、関係として「存在」している。こういうことらしいんだが、、、
ブ:うん、だいぶん理解しやすくなったぞ。さすが、磯貝だな。あと確認したいのは、大乗最古であろう般若系統の「空」理論と釈迦仏教の本来の教えとの関連というか、違いというか。さっき、龍樹の考えでは、「空」=「縁起」というのが紹介されたよな。
磯:もともと釈迦仏教の中心概念のひとつである「縁起」を、大乗仏教が「空」と呼びかえたというのがわかりやすいんだけどな。細かいことを言い出すと、キリがないんだよ。そもそも、釈迦仏教も「空」という語を使っている。ただ、釈迦仏教の「空」と般若系統の「空」には違いがあると、専門家は指摘しているしな。
ブ:じゃあ、改めて、般若心経でいう「空」の解釈について、もう少し、頼むわ。
磯:現代のテーラワーダ仏教(=上座部=いわゆる小乗)の長老、スマナサーラ師の説明では、大乗仏教の「空」は釈迦仏教の中核である「無常」と「苦」と「無我」を一つの単語でまとめたものだそうだ。
ブ:ということは、般若系統の「空」=釈迦仏教の「諸行無常+一切皆苦+諸法無我」となるわけだ、その高僧の解釈では。
磯:そうみたいだな。スマナサーラ師の解説を引用すると、「『空』という単語はブッダも使っていましたが、ブッダはあまり概念を抽象化したくなかったんですね。ですから、一般人でもそれなりに理解できる無常・苦・無我という言葉を使って存在の姿を説明しているのです」ということだ。
ブ:なるほど。あと、日本人の意見も聞きたいところだな。そうだ、あの江戸の天才学者、富永仲基(とみなが なかもと 1715~1746年)は、そのあたりに関しては、どのように論じているんだ?
磯:富永仲基は、小乗系の最古の経典である阿含部と大乗最初期の般若部の歴史的な成立の前後関係を、正確に見抜いているよ。そのうえで、般若系が阿含系よりも優位にあることを主張しようとした、と指摘している。
ブ:へえ~、で、富永のその意見の根拠は?
磯:阿含系では、「一切の現象は存在する」と説かれている。一方、般若系は、「一切の現象は実在しない。実在すると観るのは、人間の妄執であり、一切は『空』である」と教えていることに富永は注目したわけだ。そして、そこから、般若部が阿含部を貶異(へんい)して、優位に立とうとしていると判断したんだよ。あ、「貶異」というのは、「異なる意見で貶める」ぐらいの意味だ。約三百年前の時代に生まれて、現代の仏教研究の水準に匹敵する研究成果をたった一人で成し遂げたわけだ。つくづく、富永は不世出の大天才だな。
ブ:いや~、凄いな、富永仲基は。それにしても、今日は、龍樹やスマナサーラ師や富永仲基の諸説を磯貝から紹介してもらって、なんか、わかりやすかったぞ。ありがとな~。
磯:まあ、くわしく説明しだすと、ホント汲めども尽きないって感じかな。だから、今回はこの辺にしとくか。
ブ:おう、そうしよう、喉も乾いてきたしな。そろそろ、、、
磯:一杯やりたくなったんだろ?ハハハ。
ブ:そういうこと!まあ、岡谷には感謝しないとな。おかげで、今回は般若心経をテーマにして、二人で盛り上がったからな。
磯:ホント、そうだよな。岡谷もたまには、イイことをするよな。じゃ、岡谷の健康と活躍を祈って二人で乾杯するか。
追記
ということで、久しぶりの磯貝との対話は、実に楽しいものとなった。
ただ、「縁起」にしろ、般若心経や「空」にしても、深奥というか玄妙なシロモノであるため、今回の記事では、ほんの上っ面を撫でただけの感がある。
また、改めて、取り組むかもしれない。