つい先日、このブログに初登場した青木部長。
その強烈なインパクトで、すでに常連たちの心を掴んだ様子。
これに対抗心を燃やしたのか、岡谷修行僧がMr.絶倫に対談を申し込んできたという次第。
青木部長:「男女交接の快楽は清浄なる菩薩の境地である 性の快楽を得ようとする欲望は清浄なる菩薩の境地である 男女が触れ合う行為は清浄なる菩薩の境地である 異性を愛しかたく抱き合うのは、、、、、、
岡谷修行僧:部長、部長、お~い!
青:「欲心を秘めながら異性を見て喜びを感じる心は菩薩の境地である 男女が行為に及んで快感を味わうことは、、、、
岡:部長~、お~い、Mr.絶倫~、ぜ・つ・り・ん!
青:お、岡谷修行僧か、いたのか、、、『理趣経』を読誦していると一心不乱というか忘我の境地に入ってしまうからな~。
すまん、すまん、気が付かなかったよ。
あ、そうか、今日は対談だったな、、、、、
岡:部長、今日は、ひとつよろしく。
それはそうと、部長は漢訳ではなくて、日本語訳の方を読むのが普通なのか?
青:いや、もちろん、漢訳も使うけれども、現代日本語訳の方がわかりやすいからな。
知ってると思うが、『理趣経』の漢訳版は「漢音」で読むことになっている、「呉音」ではなくてね。
岡:そうらしいね。
だから、例えば「如是我聞」は呉音だと「にょぜがもん」だけれども、漢音だと「じょしがぶん」となるわけだ。
青:さすが、岡谷修行僧、『般若心経』以外にも、いろいろと目配りができているようだな。
岡:いえいえ、まだまだ、修行中の身で、、、
まず、確認したいのは、『理趣経』は数ある般若経典のうちのひとつだよな、俺の勘違いでなければ。
青:一般的には、般若系の最後期に属すると考えらている。
だから、『理趣経』も「空」を説いているよな。
まあ、ちょっと細かいことを言うと、真言宗が重要視する『理趣経』は不空が漢訳したものだが、他にも数種類の異訳がある。
あと、600巻もある『大般若波羅蜜多経』を玄奘が漢訳してるだろ。
その第五百七十八巻が『般若理趣分』というもので、これも『理趣経』の異訳とされているな。
岡:その辺は、聞いたことがある。
玄奘訳の『般若理趣分』は『理趣分経』とも呼ばれていて、これが理趣経関係では最古のテキストだとされているらしい。
どうも、不空訳の『理趣経』は、玄奘の『理趣分経』をもとにして、発展したものだと専門家は見ているようだね。
青:岡谷もなかなか勉強してるな。
諸説あるが、詳細すぎることは研究者にまかせて、俺としては不空訳の『理趣経』を読経しながら、日々実践に励むだけだよ。
岡:そうだよな、、、俺も、『般若心経』に惹かれているのは、その成立過程とかよりも、心経が持つ呪文としての法力だからな。
あのさ~、青木部長は、「性典だから実践、実践!」って言うけど、真言宗は『理趣経』を「性典」扱いすることに反対しているんだろ?
真言宗のお偉いさん方は、昔から「『理趣経』は男女の交歓を単に肯定したり、奨励しているものではない。欲望肯定や性交を「即身成仏」と説いているわけでない」と口うるさく指摘するよな。
青:そうなんだよ。
あいつら、堅苦しいんだよ。
まあ、仏典が現代のように体系的に研究されていない大昔は、お経はすべて釈迦の直説だと信じられていたからな。
『理趣経』の内容が他の経典、特に初期の阿含系統とは大きく異なるから、どう整合性を持たせるかでかなり悩んだんじゃないのかな。
そこから、密教経典を「深読み」する作業が始まったんだろうな、おそらく。
岡:部長の言う通りだと思う。
今でこそ、密教はバラモン教やヒンズー教の呪術的な要素を取り入れたのが始まりだとか、『理趣経』の成立は7世紀ごろだろうとか俺達でも知っているけど、文献学などなかった時代だから、いくら不空や空海のような学僧・高僧であっても、「釈迦仏教⇒阿含⇒般若⇒法華⇒華厳⇒大集涅槃⇒禅⇒密教」という仏教の展開には気づくことができないよ。
だから、密教経典を高僧たちが「独自に解釈」することによって、体裁を整えようとしたんだと思う。
ただ、こんなこと言うと、密教関係の人たちから恨まれそうだな、、、、
青:大丈夫、大丈夫。
仮に、苦情があれば、全部ここのブログ主のところに行くから、心配なし。
岡:そうだな。
ここのブログ主が対応すればいいからな。
あと、せっかくだから、部長の口からもっと『理趣経』の魅力をアピールしてくれよ。
青:おう。
岡谷修行僧が日々、唱える『般若心経』は最高・最強の呪文だというのがウリなんだろ、たしか。
それはそれでセールスポイントだと思うが、『理趣経』はもっとすごいぞ。
とにかく、これでもかって言うぐらいに『理趣経』がもたらす功徳というか現世利益的なことを説いているんだよ。
岡:そうなのか、、、、、部長、具体的に教えてくれ。
青:いいぞ、じゃあ、『理趣経』を読誦したり暗唱したら得られる功徳を、ちょっと列挙するぞ。
*この世の仮の姿に惑わされずに、絶対的な自由を得て、無限の喜びを満喫できる。
*十六大菩薩の功徳をすべて自分のものにできる「十六大菩薩生」という段階に達することができる。
*さらには、大日如来あるいは金剛薩埵の位を得ることができる。
*どんな重罪を犯しても、心の汚れを清められて、絶対に地獄には落ちない。
*欲望や怒りや愚鈍さといった煩悩を克服して、真理に目覚めて、すみやかに無上の覚りを得られる。
*あらゆる教えを自在に理解し、自分自身の思いをことごとく実現することができる。
とりあえず、この程度にしておこう、具体例を挙げるのは、、、、
岡:ちょっと、待ってくれよ、『般若心経』の比じゃないな~。
凄い、凄すぎるよ、『理趣経』は!
要は、あらゆる功徳と言うか、人間が望む現世利益的なものがすべてかなう、ってことだよな。
いや~、なんというか、想像を遥かに超えるよな~、う~ん、圧倒的だな~、、、、
青:そうだよ、まさに『理趣経』こそ天下無敵の万能薬、世界最高の魔法の経典だ!
どうだ、岡谷、心動かされたんじゃないのか?
いっそのこと、『般若心経』から『理趣経』に乗り換えたらどうだ?!
岡:う~ん、いや、う~ん、、、、、
青:ハハハ、かなり心が揺れていると見たぞ。
無理すんなよ、こっちの世界に来いよ、密教実践の先輩として岡谷修行僧を導いてやるからさ~。
岡:う~ん、ちょっと考えさせてくれ、、、、、「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄、、、、、
青:おっと、いきなり『般若心経』と来たか、、、、
誘惑に駆られて、心が乱れている証拠かな、ハハハ。
まあ、その気になったら、いつでも言ってくれよ。
岡:「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子、、、、、、