日々、『般若心経』を唱える岡谷修行僧の生活は、清く、正しく、そして静謐の中にも一種の緊張感をあわせ持つ趣がある。
一方、ふとしたことから『般若心経』に興味を持った絶対王者の川口。
持ち前の探究心から、心経そのものは言うに及ばず、解説書などにも目を通しているようだ。
さて、今回の対談はどうなりますことやら、、、、
王者川口:岡谷~、久しぶり、元気だった?
なんか、毎日、『般若心経』を読経しているようだけど、その後、身の回りに変化はあった?
岡谷:おう、ホント久しぶりだな~、おかげさまで大過なく過ごしているよ。
まあ、変化とか大げさなものじゃないけど、最近、「喜怒哀楽」の感情が落ち着いてきたというか、自分で言うのも何だけど、周りの雑音に心を乱されなくなったような、、、、
川:それって、落ち着いたんじゃなくて、ただの老化だったりしてな、ハハハ。
岡:バカヤロー。ふざけたこと言うんじゃないよ!
川:お、それだけ「怒」が出るなら、大丈夫だ。まだまだ、若いよ。
岡:うん、落ち着かなきゃな、、、すべては「空」、「空」なりだ。
川:そうそう、で、岡谷修行僧に一つ質問があるんだけど、、、『般若心経』ってさ、ホンモノのお経なのか?
なんかさあ、「偽経」じゃないか、って噂も聞いてるけどな。
岡:バカな、、おっと、そんなフェイクを信じているのか、川口ともあろうものが。
『般若心経』は、正真正銘、100%の正典だし、大乗仏教の根幹である「空」の思想を説くものだ。
川:では、偽経ではないという根拠は?
岡:日本人が目にするお経は、基本的に「漢訳経典」だよな。
もともと、パーリ語またはサンスクリット語で書かれた経典を、学識豊かな翻訳僧が当時の支那語に翻訳したものだ。
だから、パーリ語かサンスクリット語の原典があれば、その漢訳経典は、ホンモノと見なされるのが常識だよ。
心経の場合は、原典を玄奘が翻訳している。
冒頭に、「唐三蔵法師玄奘訳」と記されているだろ。
川:うん、その「唐三蔵法師玄奘訳」のことだが、、、これは疑わしいな~、と考えている専門家もいるらしいぞ。
なんか、玄奘ではなくて、鳩摩羅什が本当の訳者だとする説もあるみたいだ。
岡:え、、、でもな、まあ、仮に百歩譲って「鳩摩羅什訳」だとしても、サンスクリット原典からの翻訳だから、少なくとも「偽経」のはずがないだろ。
川:本当に、サンスクリットの原典は存在するのか?
岡:当たり前だろ。
法隆寺が所蔵している『般若心経』サンスクリット版の写本は世界最古ものだとされているよ。
これほど古いものは、本家本元のインドにも残っていないくらいだ。
まだ、紙が無かった時代に貝葉(ヤシ科)を乾燥させて書写している。
どうしたんだよ、川口~、えらい絡んでくるな~。
川:ごめんな~、ちょっと挑発的すぎたかな~、すまん。
実は、いろいろ調べたら、「般若心経=偽経」説に出会ってしまってね。
ホント、気を悪くしないでくれよ。
岡:いや、別にいいけど、逆にちょっと関心が出てきたなあ。
具体的には、どういう説なんだ。
川:アメリカのジャン・ナティエとかいう某大学の教授だかなんだかが、唱えた説なんだ。
その学者に言わせると、玄奘訳の『般若心経』本文は、鳩摩羅什訳の『摩訶般若波羅蜜多経』の一部と逐語的に一致するらしい。
だから、『摩訶般若波羅蜜多経』の一部を玄奘が取り出して、少々、術語を修正して生まれたのが『般若心経』ではないだろうか、と推測したとのことらしいよ。
で、さらに、それを玄奘がサンスクリット語に翻訳し直したのが、サンスクリット版になったという説なんだ。
岡:へえ~、そんな仮説があるんだ。
ということは、漢訳の『般若心経』もサンスクリットの原典『般若心経』も、玄奘の手によるものなのか?!
いや~、なんだかな~。
川:まあ、あくまで、そういう説があるということで、、、、
でもさあ、もしこれが真実だったら、結構面白いよね。
岡:そうだな、、、「インドの原典⇒支那で漢訳」の「西⇒東」の方向が通常なのが、「漢訳経典⇒支那でサンスクリット訳⇒インドへ」の「東⇒西」への動きが登場したわけだからな~。
なんか、東西の仏典伝播が双方向だったと思うと、興味深いな、もしその学者の仮説が正しければ。
川:うん、結局、それが事実だとしたら、『般若心経』の扱いというか評価はどうなるんだ?
やっぱり、某教授が言うように「偽経」に分類するのが、妥当なのかな?
岡:どうなんだろうな~。
他人の漢訳仏典の一部を取り出して、多少の修正を加えた自作仏典を、そこからサンスクリット語に翻訳してという工程を経たものだからな、、、、、
厳密に考えると、「偽経」と言わざるを得ないかな、仮にその仮説が正しければ、、、、
川:でもさ、あの天下の学僧である玄奘が、漢訳『摩訶般若波羅蜜多経』からエッセンスを抽出したわけだ。
だから、当然、一番重要な部分というか本質的な箇所を選んでいるはずだよ。
それにさ~、少し、術語を変更したのも、鳩摩羅什の翻訳よりも自分の翻訳に自信があったからじゃないのかな~。
となると、変更後の玄奘作の漢訳の方が、実は原典に忠実なのかもしれないぞ。
岡:川口~、おまえいいこと言うよな。
玄奘訳のほうが、内容が正確なら、むしろ『般若心経』の方が「空」の思想をよく伝えていることになるよな、鳩摩羅什の漢訳よりも。
となると、、、、
川:となると、、、成立過程に焦点をあてたら、『般若心経』は「偽経」かもしれないけれども、内容そのものに力点を置いたら、「本物」と見なしてもいいんじゃないのかな?
岡:そうだよ、そうだよな!
その解釈でいこうぜ。
川:それで、いいと思うよ。
それに、なんとか教授の考えはあくまで、仮説だからね。
今後、玄奘登場以前のサンスクリット版の『般若心経』原典が発見されるかもしれないし。
岡:おう、もし、そうなったら「偽経」説は吹き飛んでしまうな。
川:そういうこと。
岡:川口~、おまえ、つい最近から『般若心経』の世界を覗き始めたんだろ?!
それにしては、核心に迫る論点を突いてくるよな。
さすが、「絶対王者」の名をほしいままにするだけのことはある。
川:いえいえ、どういたしまして、ハハハ。
やっぱり、仏教って面白いよ、いろんな意味で。
岡:うん、本当にいろんな意味で興味深いよ。
般若系統の最初期のものは、一世紀ぐらいの成立だから、約2000年の歴史がある。
それが、インドから支那、朝鮮経由で日本に伝わったんだからな。
なんか、気が遠くなるような話だ。
川:それを、岡谷も俺も漢訳や日本語訳で読んでることを思うと、大乗仏教の生命力は凄まじいよな。
ここのブログ主は、「大乗非仏説」はほぼ正しい、とか記事にしてるけど、『般若心経』ファンにとっては、そんなのどうでもいいことだよな。
岡:そうそう。
だいたい、ここのブログ主は富永仲基を高評価しているから、大乗を批判的に見てしまうんだよ。
あいつも、まだまだ青いな。
川:だな。
まあ、俺たちは、般若系統の神秘な力を素直に信じようぜ。
岡:おう、俺は、これからも毎日、『般若心経』を読経するぞ。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色、、、、、、、
川:早速、始めたか、、、ハハハ。