青木部長の朝は早い。
5時に起床、すぐに浴室へと直行し、冷水と温水のシャワーを交互に浴びて、眠気を吹っ飛ばす。
と同時に、いわゆる「金冷法」も入念に行う。
これが、部長の「絶倫」を支える修行法の一つでもある。
岡谷修行僧:いや~、部長、相変わらずお盛んのご様子でなにより。
青木部長:うん、朝晩の金冷法はなかなかイイ。
効果抜群だな、ハハハ。
それに、何といっても、『理趣経』の御利益には目を見張るものがあるからな~。
岡:お経の御利益といえば、拙僧も毎日『般若心経』を読経しているためか、なんか、気持ちに張りが出てきたような、、、
青:お互い、自分にとって最高の経典に守られているよな。
しかし、冷静に考えると、仏教の開祖であるお釈迦様自身は、お経を唱えたことなど一度もないから、なんとも、、、
岡:ホント、その辺が日本人によく誤解されているところで、世間一般では「仏教=お経+お寺+仏像」のワンセットみたいに思われているのが現状。
さて、部長、今回は初期仏教のことを少し、話してもらいたい。
青:そうだな、まずはお釈迦様のことからだけど、、、
実は、その生誕年でさえ確定していないんだよ。
紀元前5世紀、紀元前4世紀、いろいろ説があって、ハッキリしてない中で、80歳まで生きたのは確実らしい。
岡:その頃のインドはどんな状況だったのかな、思想と言うか宗教の面では。
青:当時は、思想家とか宗教家とでも言うべき人物が百花繚乱で、それぞれ様々な教えを説いていたらしい。
そして、各々が「我こそが真理を究めた」と宣言していたようだ。
そこで、若きお釈迦様も、自称聖人たちの教えを学んで修行に打ち込んだ。
かなりの苦行を続けてみたが、満足できる結果は得られなかったんだな、これが。
岡:お釈迦様は、数年間も「苦行」も経験したうえで、やはり苦行ではダメだと結論づけたんだな。
自ら体験してからの、苦行否定か、うん、説得力はある。
青:そう、そこから、苦行から足を洗って、瞑想に入る。
乳粥で栄養をとりながら、菩提樹のもとで静かに瞑想に専念し、ついに35歳で覚りを得た訳だ。
岡:あ、ちょっと、話はずれるけど、最近、車のナンバーで「358」が大人気だよ。
なんか、関係があるとか無いとか聞いたような。
青:あ、その件な。
お釈迦様が、覚ったのが、35歳8カ月だったらしいから、そこから数字をとって「358」が縁起のいい数字とか聖なる数字と言われるという説も、確かにあるな。
ただ、諸説あるみたいだよ。
岡:そっか。
じゃあ、本来の話に戻って、覚りを得る前後のお釈迦様の行動について、もうすこし解説がほしいけど。
青:じゃあ、ちょっと話は前に戻るけど、そもそもお釈迦様は、小さいながらも王国の王子だからな。
父親にとっては、息子が出家してしまうと、王家が断絶するから、いろいろと妨害したんだよ。
思想の世界に関心が向かないように、美しい妃を迎えたり、美食三昧の毎日、歌舞音曲などなど、至れり尽くせり。
もう、これでもかってくらい、快適で贅沢な環境を王子である、お釈迦様に与えたんだけどな。
岡:それでも、奥さんも子供も捨てて、家を出たんだな、修行に励むために。
そして、苦行から瞑想を経て、覚りに至ったわけだ。
で、真理に目覚めた後は、どうなるんだっけ?
青:では、有名な「梵天勧請 ぼんてんかんじょう」のくだりを紹介しよう。
まあ、これは、伝説というか後世の創作だろうけどね。
お釈迦様は、覚った当初、自分が得た真理を人に説いても理解できないだろうと考えて、自分だけの心のうちに秘めておこうと決めた。
岡:え、でも、これほど現実には仏教は広範囲に伝わっているけど、、、
青:お釈迦様が、真理を一般人に説こうとしなかったので、梵天が現れて、お釈迦様を説得するんだよ。
「ああ、これでは、世間は滅びてしまう。世尊よ、法を説きたまえ。世尊が法を説かせたまえば、必ず理解する者もあるであろう」と熱心にお願いしたというお話。
で、最初は乗り気がしなかったお釈迦様も、梵天から三回も懇願されて、ついに人々に説法する決心を固めたというもの。
岡:へえ~、三回お願いされて、引き受けるわけだ。
なんか、「三顧の礼」みたいだな、劉備と諸葛孔明との間の。
青:だな。
ただ、三国時代は、紀元2~3世紀ぐらいだから、お釈迦様の時代より、かなり後だ。
岡:ちょっと、待てくれよ、部長。
梵天って、あれだろ、もともとはバラモン教の最高神だよな。
それを、ひとつの「天」として仏教が取り込んだんだ。
その古代インドの天地創造の神がお釈迦様にお願いするという図式だから、、、、、
青:そう、インド土着の最高神がお釈迦様に懇願するという図式は、仏教の方が格上というイメージを与えるかもしれないよな、聞いた人々に。
断言はできないけど、この梵天勧請は、仏教の優位性を示そうとした、と考える人たちもいるのは事実だ。
まあ、その説を否定する研究者もいるし、、、
岡:個人的には、仏教側の「権威付け」作戦みたいな気がするな。
知らんけど。
青:まあ、それはさておき、梵天勧請を受けてお釈迦様は説法を開始する。
最初に、教えたのは、かつての苦行時代に一緒に行動した五人の仲間だったというね。
それから、大勢の人に教えを与えて、庶民から王族まで広範囲にわたる信者を得たわけだ。
岡:お釈迦様が自身で弟子を指導した頃は、もちろん、お経もないし、仏像もないよな。
青:当然だよ。
お釈迦様は、今でいうと対話形式で、説法したとされる。
しかも、人それぞれの性格・個性・能力を的確に見抜いて、その人に合った教え方・説明をした。
まあ、簡単に言うと、相手によって話す内容を変えたんだ。
これを、「対機説法」というね。
岡:え~、じゃあ、ある人が「お釈迦様から、このように教わった」と言うのを聞いて、別の者が「話が違うな。俺はそんなこと聞いてないよ~」みたいなやり取りもあったということか?
青:うん、往々にしてあったと思うぞ。
例えば、托鉢を疑問視した農家の人に対して「信仰は種、苦行は雨、智慧は鋤、努力は農耕を助ける牛です。この托鉢が私の耕作であり、この耕作を行えば苦から解放されるのです」と答えている。
一方で、罪人を沢山捕縛したのを自慢した王には「鉄や木材や麻でできた枷を、智慧ある者は堅固な縛めとはいいません。宝石を欲しがり異性に惹かれることが、堅固な縛めというのです。それは、ゆるく見えて、逃れがたいのです」と教えたりね。
岡:最初期の仏教は、釈迦が中心になって説法を行い、人々が「自力」で「覚る」ようにしむけていたんだな。
青:まさしく、釈迦在世の時代の仏教は、「自力と覚り」がキーワードだったといえるね。
そこには、「『般若心経』は最強・最高の呪文だ」とか「『理趣経』を読誦すれば、現世利益がかなう」などといった後世の教えは一つも存在しない。
岡:釈迦入滅後、数百年経ってから、成立したのが大乗仏教だから、初期仏教とは大きく変質してるんだな。
青:まあ、そういうこと。
でも、どんな宗教もそうだよ。
キリストが生きている時に、「三位一体」などの教義は無かったしな。
岡:部長の言う通りだ。
カトリックだ、ギリシャ正教だ、プロテスタントだのは全部、後から生まれたものだから。
青:どんな思想も、生き物みたいなもんだ。
しかも、仏教は物凄く生命力の強い部類だから、大昔に生まれた『般若心経』を岡谷は毎日、読経しているし、俺は俺で『理趣経』を読誦し、かつ実践も行っている。
それで、お互い、幸せだから素晴らしいことだよな。
岡:部長の仰せ、ごもっとも。
青:じゃあ、今日の対談はこの辺にしておこう。
そろそろ、本日の夜の実践修行に入らなきゃな、ハハハ。