激突! 磯貝老師VS岡谷修行僧 ~ 般若経典はなぜ釈迦仏教を否定したのか?

最近、磯貝老師の貫録は増すばかりで、同期の誰もが瞠目するほどだ。
一方の岡谷も、『般若心経』を読経する日々を送っているためか、泰然自若ともいえる風格を醸し出しつつある。
今回は、「釈迦仏教VS般若経典」という対立図式の中で、二人が激論を交わした模様を記事にした次第。

岡谷:前回の老師の話は、大変勉強になったよ。
で、釈迦仏教と般若経典の対立と言うか、教義の隔たりは、結局、後発の般若系が釈迦の教えを超えようとしたことに起因するんだろうな。
それは、納得できる。
般若系は大乗仏教経典の最初期に登場したからな。
先発の釈迦仏教や小乗仏教との差別化を図る必要があったんだろう。

磯貝:岡谷の言う通りだと思う。
般若経典が生まれたのは、釈迦入滅数百年後のことだから、すでに「小乗VS大乗」の戦いは始まっている。
小乗側は、「自分たちこそ、お釈迦様の教えを正しく継承している」と主張するわけだから、大乗陣営とすれば、「釈迦の教え」を凌駕することを目指すのは必然だ。

岡:そこで、般若系は、独自の「空」理論を編み出したと、、、うん、なぜ般若系が「空=人智を超えた神秘の力」と規定したかを俺なりにいろいろ考えてみた。
で、一つの仮説なんだが、当時の大衆が「覚り=超越的な力の獲得」と思っていたというか、そうであって欲しいと望んでいたからじゃないのかな。
要は、当時の民衆のニーズに応えた形だったのでは?

磯:お、いいぞ。続けてくれ。

岡:実は、老師に触発されて、最初期の経典を読んでみたんだよ。
すると、覚った修行者に対して、新参者がこんな質問をしている、「いろいろな神通力を得られたのですか」「前世のことを思い出すことができるのですか」などなどね。
なんか、「覚った=一種の超能力を身に付けた」と思い込んでいるフシがあるよな。
まあ、老師にとっては百も承知のことだろうけど。

磯:いちいち、俺に確認しなくていいから、続けてくれよ。

岡:うん、だから、あまりにも一般人が「覚り=神秘的な能力」と勘違いするもんだから、般若系の学僧が「いっそのこと、空=神秘的な力としたら、大衆も喜ぶし、釈迦仏教や小乗と一線を画することになるぞ」とか考えたんじゃないかな~。
老師、どう思う?

磯:岡谷!おまえ、やっぱり凄いよ!
俺も、その辺があやしいなと思っているよ。
いや~、やるね~。
あとは、小乗と大乗の根本的な差も大いに関係してるはずだな。
岡谷もその点に気づいているんだろ?

岡:自信はないけど、「出家」や「修行」がらみかな?
釈迦仏教や小乗は「出家して修行する」が大前提、一方の大乗は在家の人を救うのが目的だったよな。
う~ん、出家して修行するのは、大変と言えば大変だけど、ある意味では恵まれてるよな。
一般人からの布施や、教団の財力で最低限の生活基盤は保障されているわけだから。
だけど、いろんな諸事情で出家できない人の方が大多数だし、そもそも出家したくない層も沢山いただろう。
だから、在家でも覚ることができる環境を整えるためには、覚りに至る修行を簡略化するというか、ハードルを下げることを考えたんじゃないかな、大乗仏教側が。

磯:俺もそう思う。
主家して修行し、自分の力で覚る、これが釈迦仏教や小乗仏教の基本線だよな。
キーワードは、「出家」と「修行」と「自力」だ。
一方の般若系(大乗)は、出家していない大衆でも、本人がほどほど努力すれば、覚ることができるノウハウを提供しようとしたんだと思う。
要は、「在家」と「易行」と「導き」だな。

岡:あ、老師、そういえば、『般若心経』に「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」ってあるな。
「般若波羅蜜多」は「深遠な智慧の完成」とか訳されているけど、この辺が、大乗が在家に求める修行なんだろ?
六波羅蜜は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六つの修行のことで、六番目の智慧が般若波羅蜜多だよな。
他の五つは、日常生活の中(=在家)で、普通にまっとうな人生を送っていれば難しいことじゃない。
他人に優しく接するとか、自分を律するとか、努力するとか忍耐力を身に付けるとか、なんか道徳っぽいけど、常識人であれば出家しなくても十分できることだ。

磯:そうなんだよ。
出家しなくても達成できることを、在家が覚るための方法論として推奨しているのが、般若経典だと、俺は思っている。
で、一番大事な「般若波羅蜜多」は、般若系の説く「空」が真理だと理解することを意味しているようだ。
つまり、般若経典は、「般若経の説く「空」の教えが真理だと理解することが覚りにつながる」と言いたいんだな。
もっと、ぶっちゃけに言うと、「神秘的な力を持つ「空」をとにかく信じなさい。そうすれば、誰でも覚ることができる」と説いているんだよ。

岡:それは、確かに、一般大衆にとってはありがたい話だな。
清く正しくというか、常識的な生活をおくりながら、「空=真理=神秘的な力」を信じれば、覚りを得られるわけだ。
そりゃあ、出家するよりいいなあ~、と考える人間が増えるよ、間違いなく。

磯:だろ?
大乗側の作戦は巧妙だよな。
さらに絶妙といえるのは、般若経典そのものを聖典化というか神格化したことだよ。
実はな、『般若経』には、「このお経を賛美することが覚りにつながる」「このお経を唱えたり、写経しなさい。このお経を広めなさい」という教え(?)が込められているんだよ。
さらには、般若経典の作者たちは、般若系のお経がブッダそのものだとも主張している。
だから、般若経を唱えたり、写経することが、「ブッダを供養すること=自分もブッダになれる」につながると民衆に教えたんだ。

岡:おいおい、マジで冷静に考えたら、オカルトじゃないか!
「空=超越的な力」だけでも、「え?」と思ったのに、「般若経典=ブッダそのもの」だと?

磯:なにを今さら、言ってんだよ、岡谷ともあろうものが、、、
日本の大乗仏教各宗を見てみろよ。
「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽往生できるとか、「南無妙法蓮華経」と言ったら救われるとか、なんの根拠もないし、論証もできないものばかりだろ。
大乗仏教なんてものは、よく言えば「すべての民衆を救うありがたい教え」だけど、ある意味では、一種のオカルトとか、スピリチュアルと見なすこともできなくはないよ。

岡:ちょっと、老師~、、、、大胆なことを、、、まあ、でも「ある意味では」だから、定義次第かな。

磯:そうだよ。
それに、「大乗仏教系」を自称する日本の宗教教団の中には、海外で「カルト認定」されているところも実際にあるわけだし。
まあ、仮に苦情が入っても、ここのブログ主に行くんだから。

岡:それもそうだな。
ここのブログ主がクレームに対処すればいいからな~、ハハハ。

磯:そういうこと。
じゃあ、最後に、今回のタイトルに回答する形で、この対談をまとめてくれよ。

岡:わかりました、老師、では以下のように

*出家して自力で覚る釈迦仏教の行程から、在家が日常生活の善行や読経で覚れるように導くシステムに転換するため。
*「空」を神秘的な力と規定することで、仏教に神通力や超能力を求める大衆のニーズに応えた
*般若経典そのものを神聖化・聖典化(般若経=ブッダ)することで、小乗経典との差別化を図り、大衆にアピールした。
*上記三点の戦略により、般若系統の大乗教団勢力を拡大し、小乗側よりも優位に立つことを目指した。

老師、こんなもので、いかがでしょうか。

磯:うむ、よかろう、な~んてね。ハハハ。今回も楽しかったな。また、やろうぜ。

岡:ぜひ、お願いします、老師。

追記
当ブログは、大乗仏教や大乗系教団・各宗派を批判しているわけではありません。
大乗仏教がその歴史の中で、数え切れないほどの人々を救ってきた事実も承知しております。