先日、五百旗頭眞(いおきべ まこと)さんが亡くなりました。
この名前と「日本分割案」にどんな関係が?
実は、この方は、1974年にアメリカの国立公文書館で「日本分割占領計画ー文書番号JWPC385ー1」を発見した人物です。
アメリカでは、国家機密の文書も、原則として25年経過すると、一般公開されます。
◎日本分割占領計画とは
大東亜戦争後の、連合国の日本占領において、我が国を四つに分割して統治するという案です。
以下に、その内容を
ソビエト⇒北海道と東北六県(青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島)
アメリカ⇒茨木、千葉、栃木、群馬、埼玉、神奈川、新潟、長野、山梨、静岡、愛知、岐阜、富山、石川、三重
米中の共同⇒大阪、京都、兵庫、福井、滋賀、奈良、和歌山
中華民国⇒四国
イギリス⇒中国地方と九州
ただし、東京は四か国で共同占領
歴史に「if」はありませんが、もしこの恐るべき案が実施されていたならば、現在の南北朝鮮の状況どころか、今日の「日本」と言う国は存在していないのではないでしょうか。
学生寮の同期とも部活の同期とも、出会えていないでしょう。
もし、それぞれの国が「日本語禁止令」を出していたら、今頃ノーちゃんはロシア語を話して、ウォッカをがぶ飲みしてたりして、、、
◎当該文書による当時の日本の食糧・交通状況分析
地域別食料状況+( )内に鉄道・道路網状況
北海道=余剰あり(可)
東北=適当な供給(可)
関東・信越=適当な供給(優良)
東海・北陸=不足(優良)
近畿=不足(優良)
四国=不足(貧弱)
中国=適当な供給(良好)
九州=余剰あり(良好)
*この案を作成中に、「ソビエトは食料不足だから北海道から全部、本国に持っていってしまうのではないか」と米の海軍大佐が発言し、会議場内に笑いがおこったと言われています。
◎日本占領のための兵力分担案
アメリカ=31万5000人
イギリス=16万5000人
中華民国=13万人
ソビエト=21万人
◎もちろん、この計画は実施されず、日本は存続(あ~、よかった!)
実は、危ない場面もありました。
終戦の翌日、8月16日にスターリンはトルーマンに対して、北海道の北半分を要求してきました。
しかし、トルーマンは断固として拒絶。
以下は、トルーマンの回顧録から
「私はポツダムにおける苦い経験から、ソ連には日本の管理には参加させない決意を固めた。私は心の中で、日本に対して勝利を得たら、マッカーサー元帥に完全な指揮で、管理させることを決めた」
◎それにしても
つくづく、この日本分割案が廃案になってよかった、と思うのはブログ主だけではないですよね?
現実は連合国最高司令官総司令部(GHQ)による日本統治が行われたことは、周知のとおりです。
GHQによる占領支配も多くの問題を孕んでいましたが、母国が四分五裂するよりは大分ましです。
五百旗頭さんが3月6日に亡くなったことをネットニュースで見た時、瞬時にこの件を思い出しました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
追記
この日本分割案は、架空戦記や歴史改変SFなどでよく題材にされるそうです。
一作も読んだことはありません、残念(?)ながら。