栗林中将(硫黄島守備隊長)こそ、真の「殉国の士」である!

栗林忠道(くりばやし ただみち)という陸軍中将を知っていますか?
先日、公開した記事で、愛知県西尾市にある「殉国七士廟」を紹介しました。

栗林中将は、その「七士」には入ってはいません。
しかし、別の意味で、この栗林中将ほど、「殉国の士」と呼ばれるのにふさわしい人物はいないと確信しています。

東京裁判という極めて不当かつ独善的かつ卑怯、欺瞞性100%の茶番劇の結果、あの七名の方々は絞首刑となりました。
一方の栗林中将は、世界の戦死上、稀に見る死闘が繰り広げられた「硫黄島の戦い」で戦死を遂げられました。

今回の記事は、戦後日本の平和と安定と繁栄の礎となった栗林中将の功績を讃え、心から感謝するために準備しました。

◎ 硫黄島の戦いとは?

昭和20年2月19日から3月21日(大本営が玉砕を発表した日)まで、硫黄島において日本軍守備隊とアメリカ海兵隊が激突し、地獄のような死闘が展開された。

硫黄島の読みは、現代では「いおうじま」が優勢のようだが、戦前の島民も日本軍も「いおうとう」と呼んでいた。
小笠原諸島の父島からおよそ270キロ南西にある小さな島である。
面積は約22平方キロ、周囲も約22キロに過ぎない。

この小島の攻略のため、アメリカ軍は六万人を超える上陸部隊を投入した。
迎え撃つ日本軍守備隊の総数は、陸海軍合わせて、20933名。
約三分の一の兵力である。

アメリカ海軍は約500隻の艦艇で硫黄島を取り囲み、2月16日から艦砲射撃を加えた。
14250トンを超える砲弾が硫黄島全土に、まさに雨あられのように降り注いだ。

三日後の2月19日、午前9時2分、米海兵隊の第一波が硫黄島に上陸。
これより、両軍にとって血みどろの死闘が開始されるのである。

当初、アメリカ軍は五日もあれば、硫黄島を占領できるとふんでいた。
ところが、実際には、一か月を超える激闘となったのである。
そして、米軍の死傷者数は28686名にも達したのだ。

◎ 栗林中将の凄さは以下の点にある!

中将は硫黄島において、まさに陣頭指揮をとった。
最初、硫黄島守備隊の司令部は父島にあったのを、栗林中将は実際の戦場となる硫黄島に司令部を移した。
そして、「予は常に諸子の先頭に在り」という言葉通り、常に兵士と苦労を共にして、最後は硫黄島内で戦死を遂げた。

これは、尋常の司令官にできることではない!
あのマッカーサーは日本軍がフィリピンを攻撃した際に、「I shall return」などとカッコつけの捨て台詞を残して、スタコラサッサとオーストラリアに逃げてしまった。

後に、GHQ総司令官として威厳(?)を見せつけようとした男の正体はこの程度である。
要は、いざとなったら、部下を見捨てて、自分だけ安全圏に逃亡する腰抜けの卑怯者だ。

日本軍でもアメリカ軍でも、将校と兵隊には食料において待遇差があった。
つまり、上は上等のものを食べ、下の階級のものは粗末なものを出されていた。
栗林中将は、この慣例を撤廃し、全員が同じ糧食をとったのだ。

また、硫黄島戦の前、陣地構築の時から、一人一人の兵隊に気さくに声をかけて、誠実に接していた。
誰をも平等に扱い、部下と苦労を共にした中将を兵隊は慕い、劣悪な環境の中でも士気は高まった。

戦術面での最大の功績は、地下壕を築き、身を隠して敵を迎え撃つ持久戦に徹したことである。
米軍上陸前の数か月間で、全長18・5キロに及ぶ迷路のような地下連絡網を完成させた。
こうして、日本兵は地下に潜り、アメリカ海兵隊に必死の攻撃を加えたのだ。
その結果、米軍の死傷者が28686名にも及んだのである。

◎ 栗林中将と守備隊の死闘のおかげで今日の日本がある!

栗林中将指揮下の日本軍守備隊は、徹底的な持久戦法を用いて、アメリカ軍に大打撃を与えた。
島嶼戦(島における戦闘)において、米軍の死傷者が日本軍の死傷者を上回ったのは、硫黄島の死闘のみである。
日本軍強し、日本恐るべし、等の強烈な印象が軍の指導部から一兵卒までに刻み込まれた。

硫黄島戦後の、米軍のシミュレーションでは、日本で本土決戦を行うと、260万人の犠牲をアメリカは覚悟しなければならないと出た。
とにかく、日本軍との地上戦は避けたい、もうこれ以上日本軍と戦いたくないという恐怖が大東亜戦後の対日占領政策や押しつけ憲法(=日本国憲法)の中にも見てとれる。

憲法で日本に軍備を放棄させたアメリカは、朝鮮戦争勃発であわてて警察予備隊を設置させ、これが今日の自衛隊につながる。
当時、軍隊を持たない日本は朝鮮戦争に軍事協力する必要も能力もなく、経済復興に全力を尽くせばよかった。

その後のサンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安保条約は、簡単に言うと、米が無償で日本の安全保障を行うものであった。
このおかげで、60年代の日本は経済に注力し、いわゆる「高度経済成長」を謳歌した。

1964年からのベトナム戦争にも、日本は軍事協力をする必要はなかった。
何をいまさらと言いたい人は、韓国軍が米軍とともにベトナムに派遣された事実を忘れている。
その韓国軍がベトナムで数々の残虐行為を行っているのも多くの日本人は知らない。

要は、
栗林中将と守備隊の鬼人のごとき奮闘で米は大被害を被る⇒米は二度と日本と戦いたくない⇒日本を非武装に⇒日本の安全保障は米が行う⇒日本は復興、経済発展のみに焦点をあてた⇒日本の高度経済成長、平和と安定

今回は、かなり簡略化したモデルで説明したが、硫黄島の戦いがなければ、今日の日本は存在しない。
これが、タイトル中の「栗林中将こそ真の殉国の士である」の意味である!

何度も書くが、当ブログは戦争を美化しているわけではない。
ただ、祖国のために命を捧げてくれた先人たちに深い敬意と感謝の念を感じざるを得ない、と言いたいだけだ。

繰り返す、硫黄島の死闘が戦後の日本の繁栄と平和と安定の礎となった。
多くの日本人にこの事実を知ってもらいたい。

最後になりましたが、栗林忠道中将と硫黄島守備隊の皆様方のご冥福を心からお祈り申し上げます。