朝鮮戦争と日本と英連邦軍 ~ それにしても、吉田茂は慧眼!

周知のように、朝鮮戦争は日本に多大な影響を与えた。
その巨大な波紋がもたらしたものを、いくつか以下に示すと

*アメリカによる対日政策の転換
*英連邦軍(≒GHQの下部組織)の日本残留
*日本経済への好影響(=朝鮮特需)

とりあえず、3項目を挙げたうちの一部を今回はごく簡単に紹介する。

それにしても、吉田茂は慧眼である。
比べるのも、吉田に失礼だが、最近の政治家(政治屋?)どもとはまさに雲泥の差!
吉田茂の孫も現役の議員(=麻生太郎)だが、偉大過ぎる祖父の足元にも、、、、

朝鮮戦争が勃発した時、その報を受けた吉田は、「これこそ、天祐である」と語ったという。
おそらく、一瞬にして、この戦争のもたらす効果を読み取ったのだ。

最近、訪米中でのスピーチが多少受けて、ご機嫌だった岸田ごときとは、まさに役者が違う。
まあ、横綱と序の口では実力・度量の差が大きすぎるのも当然か。

◎朝鮮戦争が、日本の自衛力強化(=自衛隊の創設)につながった。

朝鮮戦争勃発⇒日本駐留の米軍を朝鮮へ派遣⇒日本の防衛力が空白に⇒GHQが「警察予備隊」(=後の、自衛隊)設置を指示

上が、ごく簡単な流れである。
後に、吉田茂は著書に以下のように記した。
「私はかねて警察力の不足を憂慮し、何らかの形でその充実を図る必要があることを痛感していたので、総司令官のこの指示に対しては、当別な関心を以てこれを迎えた。むしろ絶好の機会であるとさえ考えた」

マッカーサーは日本に「平和憲法」を押しつけてきた。
しかし、朝鮮戦争に対処するにあたり、日本に再軍備を要求した。
これが、まごうことなき歴史上の事実。
要は、米にとって日本国憲法(特に、第九条)などは、その程度のものである。

日本の防衛問題(自衛隊や九条なども含む)を論じる際には、最低でも、この程度の知識は前提となる。

◎朝鮮戦争が、日本の早期独立につながった。

1950年6月、戦争勃発⇒米は対日講和を急ぐ⇒1951年9月、講和条約締結⇒翌、52年4月に同条約発効=日本独立

上記のごく簡単な流れでわかるように、朝鮮戦争が起こってから、二年弱で日本は独立をはたした。
講和の代償として、アメリカは日本に本格的な再軍備を強く迫ってきた。
この米の要求をみても、米にとって「平和憲法」とか「第九条」などがいかに軽い存在であるかが理解できる。

1951年9月にサンフランシスコ講和条約(平和条約とも)が締結された際に、日米安全保障条約も同時に結ばれた。
この日米安保条約は、1960年に改訂されて現行のものとなる。

◎英連邦軍の日本残留と変容

1950年5月、米は英連邦軍の撤退を承認⇒50年6月、戦争勃発⇒英連邦軍、日本残留⇒英連邦軍は国連軍に変容

英連邦軍に関しては、すでに当ブログで記事にした。
撤退する予定であった英連邦軍は、朝鮮戦争が原因で日本に残留することになる。
米のトルーマン大統領が英連邦軍にも朝鮮への軍隊投入を要請した結果であった。

米国の依頼を受けた豪州政府は、50年7月から軍事作戦に参加することを決定した。
同年11月以降、英連邦軍は「英連邦朝鮮派遣軍」と呼ばれるようになった。
つまり、英連邦軍は国連軍へと変容したのである。

国連軍として英連邦諸国は計9個連隊を朝鮮半島に投入した。
海軍に関しては、空母4隻、巡洋艦5隻、駆逐艦5隻を派遣するという本格的な軍事行動であった。

◎おわりに

ごく簡単に朝鮮戦争が日本に与えた影響について記事にしてみた。
今回は、いわゆる「朝鮮特需」に関しては省かせていただく。

個人的な印象だが、サンフランシスコ平和条約は日米安保条約に比べると認知度が低いような気がする。
また、機会をみて、そのあたりにも触れてみたいとは考えているが、、、

それにしても、吉田茂の眼力は凄い。
朝鮮戦争の火ぶたが切られた瞬間に、常人には見えない先の先まで読んでいたのであろう。
つくづく、最近の政治屋どもの情けなさが、、、、、