この「暗黒のフランス革命」シリーズも七回目。
前回までを読んでくれた常連さん方には、フランス革命がいかにデタラメであったか、ご理解いただいていると思います。
今回も、まさに「狂気の沙汰」とでも言うべき事実を紹介したい。
タイトルにあるように、革命政府はバカとしか言いようがない政策(=愚策)を行う。
順を追って見ていこう。
まず、1789年8月11日に以下の布告を出す。
「全ての市民は、出生によって区別されることなく、あらゆる職務に就きうる、、、、有益な職業はいずれも貴族資格喪失をもたらすことはない」と。
要は、平民でも将軍になれるし、貴族が靴を売ってもよいということ。
(注:革命前は貴族は一切の商業活動を禁じられていた。だから、貧乏な貴族も実は多かったのだ)
さらに、1791年3月に、「職業についての平等」を徹底するために、次の法令を出した。
「鬘(かつら)師、床屋、風呂屋に関する親方職、および他のすべての監督の親方職や技芸や商業の仕事の親方職、親方資格や親方会の認可状、薬剤師団体の認可状や、職業に関するすべての特権状は、いかなる名称のものであれ、廃止する」
さて、革命政府は、何がしたくて、前述のような法令・布告を出したのか。
⇒一つは、革命政府が考える「自由」や「平等」を実現するため。
⇒また、国家や中間団体(州・教会・職業団体など)から個人を開放するというキレイごとを達成するため。
ちょっと、冷静に考えたら、鬘師も床屋も技術職であるから、熟練するには訓練が必要であることは自明だ。
今の時代の日本なら、理容師・美容師などの専門学校で勉強すればいいが、当時のフランスならば親方の下で修業するのが自然な流れであるはず。
それを、いきなり、親方を廃止して認可状もいらない、とは。
まともな人間の判断だとは、到底、思えないと感じるのは当ブログだけであろうか。
ましてや、薬剤師の場合、専門的な知識がない人間に務まるはずがないのだが、、、、
先程の法令には、「誰であれ、よいと思われる交易、職業、技芸に携わる自由を有する」という文言もあった。
その際の唯一の条件は、営業税を払うこと。
つまり、税金さえ払えば、どんなバカが医者や薬剤師になってもよいという法律を施行したのだ。
しかも、国民公会(=革命政府)は、医学部は無用だと判断して、これを閉鎖した。
常連の皆さんは、「そのウソホント?」と唖然としたのではなかろうか。
これは、正真正銘の歴史事実である。
フランス革命とは、かくも愚劣で危険な「狂気の祭典」だったのだ。
しかし、国民公会の中に、一人ぐらい、反対する者はいなかったのか。
実は、バカばかりの革命政府内にも、常識的な判断ができる人物がいた。
それは、マラ(1743~1793年)である。
マラは、医者の息子で、自身もボルドーとパリで医学を学び、ロンドンで開業した経験を持つ。
このマラは以下のように語っている。
⇒「各人がその能力を試験されることなしに、勝手に職業に就きうることになる。ただの見習いがちょっと本をかじっただけで、金を手に入れようとするだろう。やがて、あらゆる職業、あらゆる取引が策略やペテンに変質してしまうだろう」と。
まあ、常識的な意見だし、今日の日本人ならほとんどがマラの意見に同意するだろう。
そして、その後のフランスは、マラの予想通り、勝手に医者を名乗る馬鹿やペテン師が大活躍?!
でたらめな処方を行い、あまたの市民の生命を危険にさらした。
まさに、愚者と詐欺師による殺人行為である。
フランスの公衆が犠牲になり、社会が混乱してから何年も経った、共和歴6年にようやく修正の動きが出てきた。
しかし、実際に医師がかつての特権を回復するのは、共和歴11年になってからのことだった。
と、ここまでキーボードを叩いてきて、つくづく、フランス革命の愚劣さ・低俗さ・浅薄さに呆れ果てる。
バカというか、阿呆というか、低能というか、、、、
フランス革命の指導者どもは、知性も理性も常識も想像力も無い、単なる愚か者の集団にすぎない。
ニセ医者やモグリ薬剤師のせいで、被害を受けたフランス民衆に心から同情する。
結局のところ、フランス革命とは、ニーチェの言葉を借りれば、「愚にもつかない余計な茶番劇」であった。
いかがわしい野心家たちが自分たちの怒りや激情に流されて、恐怖政治を行い、数十万人の自国民を殺したのだ。
ゲーテの言によれば、フランス革命とは、「卑劣な薄汚い利己的な連中による、賄賂と嫉妬と略奪で動いた暴動にすぎない」のである。
前段で、「数十万人の自国民を殺した」と記したが、帝政時代(特に、ナポレオン戦争)の人的損失も合わせると、死者の総計は200万人である。
この悲惨と言うしかない状況のどこをどのように評価したら、「フランス革命は素晴らしい」などの妄言が出てくるのか?
当ブログは全く理解できない。
今回は、ここまでとしよう。