暗黒のフランス革命 その6 ~ ヴァンデ戦争(=反革命派の大虐殺)における40万人の犠牲者

前回の「その5」で、人権宣言の宗教性について触れた。
ここは、フランス革命理解において非常に重要な点であるから、再度、確認したい。

人権宣言の前文に、以下のように謳っている。
⇒「国民議会は、最高存在の面前で、かつ、その庇護のもとに、人間と市民との以下のごとき諸権利を承認し、かつ、宣言する」と。

「最高存在」とは、革命の指導者ロベスピエールが考案した人工神であり、その正体は「理性」である。
国民議会自らが創り出した神を拝みながら、その神が自分たちを庇護している、という構図である。
100%宗教そのものである。

しかも、「諸権利を承認し、かつ、宣言する」の主語は「国民議会」である。
ある集団が、自作の神の名と庇護のもとに「自分たちには以下の権利がある」と勝手に承認し、宣言しているにすぎない。
つまり、人権宣言・人権思想とは、単なるイデオロギー、換言すると、一種の妄想体系にすぎない。

その妄想(=宗教)のドグマが人権宣言の各条項である。
人権宣言(=人権思想)は、排他的な宗教であるから、国内のカトリックを徹底的に弾圧した。
その異教徒排撃と関係するのが、ヴァンデ戦争だ。

◎ ヴァンデ戦争とは?

ヴァンデ戦争とは、1793年3月から始まったフランスの内戦である。
「戦争」と呼ばずに、「ヴァンデの反乱」と記す場合もある。
フランス共和制(革命政府)から見れば、反乱かもしれないが、当ブログは内戦と見なす学説を採用して、ヴァンデ戦争と呼ぶ。

1793年2月にジャコバン派独裁政権が、対外戦争に備えるために、不平等な徴兵制を施行したことから民衆が武力蜂起した。
この「不平等」とは、農民にとって非常に不利な仕組みになっていたことを示す。
というのは、富裕層は代理人を立てることができたし、役人は兵役を免除されていたからだ。

◎ 宗教戦争かつ反革命戦争としてのヴァンデ戦争

ヴァンデ地区は、フランス西部にあり、カトリック信仰が厚い地域であった。
革命独裁政権がカトリックを弾圧したせいで、教会の司祭が追放されたり、教区が統廃合される。
ヴァンデ地区住人が代々信仰していたカトリックが排撃され、教会を中心とした共同体も破壊された。

ヴァンデの民衆にとっては、自分たちの信仰を守るための戦いでもあった。
当初は、民衆の中から指導者が現れたが、やがて、反革命派の軍人でもある貴族たちが指揮を執るようになる。
さらには、弾圧された聖職者たちも加わり、反革命勢力は増えていき、自らを「カトリック王党軍」と名乗った。

まさに、「カトリックVS革命政府の宗教」の図式、つまりは宗教戦争である。
と同時に、「王党軍」とは文字通り、王政を支持する「王党派」であるから、「王政VS共和制」の図式も併せ持つ。
その証拠に、カトリック王党軍は十字架と王家の象徴である白色の帽章を身に付けていた。

◎ 革命政府(独裁政権)による徹底的な大虐殺

カトリック王党軍は、地の利を生かして、各地で革命政府軍を撃破する。
しかし、王党軍内部の指揮系統は一枚岩ではなく、戦略面での統一性に欠けていた。
ヴァンデ地方に自治圏を樹立しようと主張するものもいれば、ナントなどの近隣都市を攻略して、パリを目指すのが得策だと考える指揮者もいた。

最終的には、1793年6月から、ナント攻略戦を開始するが、各部隊の足並みが乱れがちであった。
一方、ナント市民が政府軍と共に徹底抗戦する中で、王党軍の司令官がナント側の銃撃に倒れ、ヴァンデの兵士は統制を失い、カトリック王党軍は敗走する。

1793年8月、国民公会(=革命政府)は、ヴァンデ地区全体を組織的に破壊し、収穫物を含めてすべてを焼き払い、戦争に関係のありそうな者は、老若男女問わず容赦なく殺戮すべし、という布告を出した。

この指令を受けて、政府軍は、ヴァンデ地区の森林、田畑、家屋、教会などを徹底的に破壊し、住民を無差別に虐殺した。
政府軍のある将軍は、誇らしげに以下のように報告した。

「ヴァンデはもはや存在しない。女子供もろとも、我々の自由の剣のもとに死んだ。私は連中をサヴネの沼に葬った。子供たちを馬で踏みつぶし、女たちを虐殺したから、夜盗が生まれることもない。囚人を一人でも残したと咎められるようなこともない。すべて処分した、、、道という道は死体で埋まっている。死体が多すぎるので、何カ所かではピラミッドのように積み上げねばならなかった」と。

革命政府のある議員は、一度に100~200人の捕虜をまとめて銃殺した。
また、この鬼畜議員は、船に多数の人間を乗せ、船倉に押し込み、脱出できないように船窓や甲板をくぎ付けにしてから船を沈めることも好んだ。
この悪魔議員は、この水死刑を「垂直的追放」と呼び、楽しんだという。
さらには、男女を一緒に縛って処刑し、これを「共和主義的結婚」と名付けたらしい。

一般に、ヴァンデ戦争の犠牲者は、政府軍とカトリック王党軍、さらにはヴァンデ地区の罪なき老若男女を含めて、30万人から40万人とされる。
ただ、人口動態学の専門家である、ピエール・ショーニュは、60万人という数字を挙げている。

◎ おわりに

何度も書いたが、日本の左翼やリベラルの中には、フランス革命を賞賛するものが多い。
一体、この暴力の祭典のどこに魅力を感じているのだろうか。
当ブログには、全く理解できない。

国王と王妃をギロチン台に送り、革命政府内で権力闘争を繰り広げ、実権を握った派閥が多くの反対派、政敵を容赦なく殺す。
ヴァンデ戦争においては、国内の一地方を壊滅させ、住民を殲滅し、敵味方合わせて40万人(60万人とも)もの自国民の命を奪ったのだ。

この人類史上稀にみる狂気と暴虐のどこに、「理性」があるのか?

今回、ヴァンデ戦争に関する資料を調べると、前述したよりも遥かに残虐な描写が多々あった。
正直、キーボードを叩く気にもならなかったほどの。