つくづく思う。
日本は、「八百万の神々」の国であると。
今年になって、『古事記』に少しずつ目を通している。
もちろん、現代語訳。
まあ、とにかく、いろんな神が次から次に登場すること、登場すること。
当記事では、そんな『古事記』の世界を少しだけ紹介したい。
最初に、高天原にアメノミナカヌシノ神、タカミムスビノ神、カミムスビノ神の三神がいきなり出現。
この三柱の神は、独り身の神で、すぐに姿を隠してしまう、って何のために出てきたんだよ、とツッコミたくなる。
(日本の神は、「一柱」「二柱」と数えるのが正式)
つづいて、ウマシアシカビヒコヂノ神とアメノトコタチノ神の二柱が姿を現す。
この二柱も独神(ひとりがみ)で、間もなく、隠れてしまう。
なんだか、訳が分からんというか、、、
お次は、クニノトコタチノ神、トヨクモヌノ神が生まれるも、やはり独神であり、姿を隠す。
おい、おい、何かアクションをおこせよ、と言いたくなるはブログ主だけか。
ここで、明治天皇の玄孫である、竹田恒泰氏のアドバイスを引用する。
⇒「『古事記』を読むに当たっての最大の要点は、神の名前が出てきたら躊躇せずに「忘れる」ことである。重要な神は何度も登場するため、自然と頭に入るものである」
ということで、遠慮なく忘れることとしよう。
さて、ここから、変化球が。
これまでは、独神しかお出ましにならなかったのが、満を持してか、男神と女神がおなりに。
男神であるウヒヂニノ神とその妻であるスヒヂニノ神。
この二柱は、本来は兄と妹の関係だが、夫婦になった(⇐これは、竹田氏の解説)。
他の現代語訳では、「ウヒヂニノ神と妹(いも)スヒヂニノ神」などの表記もある。
以下も、竹田氏の解説に従い、夫婦として紹介していきたい。
次に、男神のツヌグヒノ神と妻のイクグヒノ神。
男神のオホトノヂノ神と妻のオホトノベノ神、男神のオモダルノ神と妻のアヤアシコネノ神が姿を現した。
そして、ついに、あの有名な夫婦神である、男神のイザナキ(「イザナギ」の表記もあり)と女神のイザナミが登場。
あ~、やっと、知ってる神が出てきてくれた、って感じがする。
よかった、よかった。
突然だが、ここで、専門家の解説を引用したい。
最初の神、「アメノミナカヌシノ神=天之御中主神」について、竹田恒泰氏は以下のように語る。
⇒「その御名から考察すると、『天』は宇宙、『主』は留まって動かず司る者を表し、『宇宙の中央にいて統治する神』というような意味であることから、天之御中主神は『万物の統合の象徴』といえる。八百万の神々、森羅万象全てを統合し統治する役割を担っていると考えられる」
では、日本神話上で重要な役割を果たす、イザナキノ神とイザナミノ神の「国生み」と「神生み」について、簡単に記述する。
*イザナキ・イザナミ二柱の交わりにより、最初に生まれたのは、「蛭子」と「淡島」。
この「ひるこ」と「あわしま」は、訳あって御子の中には入れられていない。
「蛭子」は「水蛭子」の表記もある。
*次に、現代の地名でいうところの淡路島、四国、隠岐諸島(島根県)、九州、壱岐島(長崎県)、対馬(長崎県)、佐渡島(新潟県)、本州(ただし、畿内を中心とする地域)が生まれた。
これらの八つの島が先に生まれたので、我が日本国のことを「大八島国 おおやしまのくに」という。
*国生みが一段落すると、イザナキ神とイザナミ神は、「神生み」に着手する。
その神々は住居に関する神々、海や川など水に関する神々、風・木・山・野などに関する神々、船や食べ物に関する神々など。
実に、三十五神(柱)が生まれたので、御名は省略させていただく。
*一柱だけ、イザナミ神が最後に生んだ「火之迦具土神 ひのかぐつちのかみ」の御名は紹介したい。
見ての通り、「火の神」であり、この神を生む際にイザナミ神は御陰部に火傷を負ってしまい、それが原因で命を落としてしまう。
ということで、『古事記』の描く「国生み」や「神生み」の大雑把な概略が以上である。
まさに、日本は「八百万の神々」の国。
さて、愛妻イザナミを失ったイザナキ神の怒りの矛先は、御子である火之迦愚土神へと向けられて、、、、
イザナミの姿を一目見たいと願うイザナキが「黄泉国=死者の国」で目にしたものは、、、、
誰もが知るアマテラスやスサノオはいつ登場するのか、、、、
などなど、『古事記』の世界はまだ始まったばかり。
日本神話の続きは、またの機会にでも。
常連の皆様方、お楽しみに。