とある雑学ネタ本で以下の記述を見つけた。
⇒旧「新潟県」と「柏崎県」が統一されて現在の新潟県になるとき、どちらの名前を残すかでもめて、結局、両県知事が相撲をとって決めた。
面白い!
しかし、これは本当のことなのか?
少し調べてみた。
まずは、合併の概要は以下の通り、
現在の新潟県=合併前の新潟県+柏崎県+相川県+若松県(東蒲原郡)である。
三つの県が新潟に合併されていく流れをみていこう、
柏崎県⇒1873年に新潟県に合併
相川県⇒1876年に新潟県に合併
若松県⇒1876年に福島県に合併、その後、1886年に新潟県に移管
さて、相撲のエピソードの出典の一つは、1901年1月24日付けの「新潟新聞」のコラム。
記事の引用ではなく、ポイントだけを列挙する。
*新潟県の県令(今の県知事)とその一行が、柏崎県の名家に宿泊した。
*そこへ、柏崎県の役人一行が挨拶にきて、宴会となる。
*新潟県の県令が、「相撲をして勝った方が、負けた方を合併しよう」と提案。
*新潟県の県令が行司をつとめ、両県の役人同士が相撲し、新潟県側が圧勝した。
では、この新聞コラムの内容は信用できるのか。
新潟県立文書館(新潟市中央区)副館長の小日向氏は、
「この話を裏付ける資料は、何もありません」と説明する。
新潟県立文書館は、同エピソードの出典として、もうひとつ挙げている。
昭和8年(1933年)初版の『新潟古老雑話』という本だ。
その該当部分の内容を同館の記事から引用する、
「明治5年12月16日に上京のため新潟を発した楠本一行10余人、柏崎での柏崎県の役人との酒宴の席で、楠本が合併を相撲で決めようと提案。楠本を行司に新潟方、柏崎方にわかれて相撲を行った結果、新潟側の圧勝だった」
この記述には、実は、大きな疑問が残ると、同館は指摘する。
⇒そもそも、「明治5年12月16日」は暦の上で存在しない。
⇒明治5年12月3日を明治6年1月1日と改暦したため。
結局、新潟県立文書館は、このエピソードはあくまで寓話だと思う、と結論づけている。
本日の教訓
⇒雑学ネタ本の記述には要注意!
⇒常に、「そのウソ、ほんと?」の気持ちをもとう。