斎藤兆史『英語達人列伝』中公新書

サブタイトルは、「あっぱれ、日本人の英語」である。
ざっと、目次に目を通す。

えっ?
南方熊楠の名前が無い!
冗談でしょ!

熊楠こそは、日本人の中で英語の達人中の達人のはず!
あ~あ、なんか読む気が失せてきたなあ~。

斎藤先生は熊楠を知らないのかな?
そんなはずはないけどなあ、、、

まあ、気を取り直して、この『英語達人伝』を紹介する。
古きは明治、新しくても昭和までの日本人英語達人の中から著者が選んだ10名が紹介されている。

新渡戸稲造、岡倉天心、斎藤秀三郎、鈴木大拙、幣原喜重郎、野口英世、斎藤博、岩崎民平、西脇順三郎、白洲次郎というラインナップ。

新渡戸稲造と野口英世は紙幣でもおなじみ。
岡倉天心は有名人だし、鈴木大拙もビッグネーム、白洲次郎も吉田茂の側近として活躍したことを知る人は多い。

それぞれの達人たちには略年譜がついており、一種のミニミニ伝記の趣を持つ書でもある。
その中で、一人一人がどのように英語を習得したのか、またどのような英語を駆使したのかが描かれている。

しかし、日本の英語名人たちの英語学習への姿勢は、今の若い人にはただの「精神論」と見なされるかもしれない。

なにせ、著者の説明では、「新渡戸稲造、斎藤秀三郎、野口英世、それぞれの英語修行の推進力がそれぞれ、「努力」、「執念」、「根性」であったとすれば、西脇順三郎のそれは、まさに「偏愛」に近い」ということだから。

ブログ主の印象では、今どきの世代が敬遠したがるオヤジ世代のキーワードが「  」の中に並んでいるのではなかろうか。

それでは、達人たちの英語の実際を少しだけ見ていこう。
以下は新渡戸稲造が書いた英文のほんの一部である。

The disciple of fortitude on the one hand, inculcating endurance without a groan, and the teaching of politeness on the other, requiring us not to mar the pleasure or serenity of another by expressions of our own sorrow or pain, combined to engender a stoical turn of mind, and eventually to confirm it into a national trait of apparent stoicism.

ブログ主ごときがコメントできるような生半可なレベルではない。
ただただ、圧倒される。

岡倉天心のボストンでのエピソードはパンチが効いている。
路上で一人の若者から、”What sort of ‘nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?”と声をかけられた岡倉天心、その若者の方を向いて

“We are Japanese gentlemen. But what kind of ‘key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?”と切り返した。

鈴木大拙は当ブログでも少し紹介したように、NHK朝ドラ『ブギウギ』のモデル笠置シヅ子と少々つながっている。
鈴木の息子が笠置の代表曲『東京ブギウギ』の作詞を手がけたのだ。

この鈴木大拙がもし英語の達人ではなかったら、今日世界でこれほど禅は知られてはいないだろう。
鈴木は禅や仏教や日本文化に関する英文著作を数多く発表し、また英語で講演も行った。

大拙の英語も少し引用する。

In Zen Buddhism one asks, “What is Buddha?” and the master raises his fist. “What is the ultimate signification of Buddhist teaching?” and the master replies, even before the questioner fully finishes. “A spray of plum blossoms,” or “The cypress tree in the country yard.” The point concerned here is not necessarily the appropriateness of the answer, but to see the mind not “stopping” with anything.

幣原喜重郎は大東亜戦争後の昭和20年10月9日から21年5月22日まで内閣総理大臣を務めた人物。
組閣後に幣原が手がけたのが、『天皇の人間宣言』の英文草稿の作成であったそうだ。

興味のある方は、ぜひ本書を手にとってほしい。
その『人間宣言』の英語版の一部が本文中で紹介されている。

今回の記事は「読書感想」とはいいながら、実際には簡単な内容紹介になりそうである。
その理由は極めて明白で、10人の英語達人の英語力が凄すぎて、ただただ圧倒されるばかりだからだ。

だから、文字通り「正直に」感想を並べると、「斎藤秀三郎の英文著作は膨大すぎる!」「え、西脇順三郎って英文詩集を出版してるの?!」「斎藤博の英語でのラジオ演説を聞いてみたかったなあ」などになるからだ。

さて、今でも多くの日本人から敬愛され人気が高い白洲次郎である。
本書では英語達人として言及されているが、多くのファンが彼のそれ以外の側面に惹かれているようだ。

これまで、白洲次郎をあまり「英語」と関連づけてこなかった人にはこの新書をぜひ読んでほしい。
彼の書いた有名な「ジープウェイ・レター」の一節を目にすることができる。

かつて日本を占領統治していたGHQをして、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎の英文をぜひ読んでもらいたい。
特に、白洲の『プリンプルのない日本』を読んだ方には、お勧めである。

著者について少々。
現在、東京大学教授である斎藤兆史氏は、この書の中で英語達人の逸話を邪魔しないようなかたちで、自分の英語学習や英語教育に関する意見を明確にしている。

「役に立たないものの代名詞になってしまった感のある学校文法や「受験英語」も、それ自体にどれだけ本質的な欠落があるのか僕にはわからない。もちろん、英語教育の方法論にも改善すべき点はいくらでもあるが、学校で習う英語が役に立たないというのは、そもそも習った英語をきちんとマスターしていない人の言い草だろうと思う」

「最近のコミュニケーション中心の英語教育では、文法的な間違いを恐れずに自己表現をせよ、というような指導がなされているようだが、英語の『調子』を会得させる前にそのような指導を行うことに対しては、僕ははっきりと反対の立場を表明しておく」

この『英語達人列伝』は英会話用のハウツー本ではないし、英語学習参考書でもない。
読了後に、いきなり英語力が向上するものでもない。

だが、日本人に生まれながら凄まじいまでの英語力を身につけた先人たちの努力、気迫、意志の固さに圧倒され、また魅了される。
英語が苦手な多くの日本人に勇気を与えてくれる一冊である。

また、先に述べたように、それぞれの人物の評伝としても読めるし、明治から昭和の時代・文化に触れることもできる好著である。

一読の価値あり!

追記
ところで、後日、書店で『英語達人列伝Ⅱ』を発見。
いました、我らが熊楠が。

斎藤先生、ありがとうございます!