名前だけは知っていた。
そんな存在の一人が、大川周明(1886~1957)だ。
言うまでもなく、戦前の日本・日本人に多大な影響を与えた人物である。
一般に、右翼界の大物思想家と見なされている。
最近、大川の『日本二千六百年史』を購入し、少しずつ目を通しているところ。
この書は、昭和14年7月に出版されると同時に大ベストセラーとなったが、その内容の一部に関して軍部や右翼から「国体違反」「不敬」などの批判にさらされる。
そのため、発禁とされ、後に軍部等から問題視された箇所を訂正・削除した改訂版(昭和15年9月以降)となった。
しかし、現在、その発禁となった初版版が、㈱毎日ワンズより発行されており、改訂版で削除された部分も原著のままの形で読むことができる。
この毎日ワンズ版『日本二千六百年史』の帯には、東京国際大学教授・福井雄三氏の以下の言葉がある。
⇒「大東亜戦争の理論的指導者であり思想家であった大川周明を連合国は結局戦犯からはずした。
大川を登場させ続けたならば、その聡明な頭脳と精緻な理論展開によって、東京裁判はいかさまの茶番劇であることが、そして欧米列強のアジア侵略の歴史が白日の下にさらされてしまうことを恐れたのであろう」
では、大川周明の言葉を紹介しよう。
◎ 「天皇とは、『天神にして皇帝』の意味である」
大川による天皇の定義である。
もう少し長く引用すると、「さて、天皇とは『天神にして皇帝』の意味である。吾らの祖先は、天神にして皇帝たる君主を奉じて、この日本国を建設した。而して吾国は文字通り神国であり、天皇は現神であり、天皇の治世は神世であると信じていた」
ブログ主は、いわゆる右翼ではない。
ただ、左翼が日本を貶めるのに反して、右翼が日本を愛する姿勢には好感を持っている。
個人的な感情はさておき、大川の主張を見て行こう。
大川は、日本国民の天皇に対する関係について、以下のように述べる。
⇒「日本国民の天皇に対する関係は、その本質において父母に対する子女の関係と同一である。
子女が父母に対して正しき関係を実現することが、取りも直さず孝である。
同様に日本国民が、天皇に対して正しき関係を実現することが忠である。
さればこそ、吾国に於ては、古より忠孝一本と言われている」
さて、前述のように、大川の『日本二千六百年史』の初版本には改訂版において削除された箇所が多々ある。
実は、先ほどの引用部の後に、初版においては以下の文言があった。
⇒「そは日本の天皇は、家族の長、部族の族長が共同生活体の自然の発達に伴いて国家の君主となり、以て今日に及べるが故である」
上記の引用部が、初版本で、なぜ問題視されたのか?
常連の皆様方はどのように感じますか?
当ブログなりに、思うところはあるが、ここでは割愛する。
◎ 儒教を危険視した大川周明
大川は、同書の中で儒教をかなり批判している。
その箇所を引用する。
⇒「儒教は、すでに述べたる如く、最も重大なる点に於て、日本固有の思想と相容れざるものがある。
それは、主権者に対する観念、並びに主権の基礎に関する観念についてである。
儒教は、天は有罪を討ち、有徳に命じて主権者たらしめると教える。
この主義は、一見甚だ合理的なるに拘らず、実際に於ては幾多の不都合を伴う」
大川が言いたいのは、儒教で言うところの「徳」が甚だアヤフヤなものだということ。
根拠として、徳の有無や優劣を厳密に定める標準などこの世に存在しないと断じている。
さらに、現在の君主に対して、「徳がないから退位しろ」と迫って、君主がすんなり位を譲れば、いわゆる「禅譲」となる。
しかし、実際には、それで退位する君主など存在しないため、結局は武力による王位の争奪戦となる。
大川の指摘通り、支那の歴史は実力行使(戦争・内乱)による政権交代の歴史である。
そして、大川は儒教を攻撃しつつ、日本と天皇について語る。
⇒「しかし、吾国に於ては、全く之と事情を異にする。
日本に於ては、神武天皇の直系に非ざる限り、如何なる聖人君子が世に出でようとも、絶対に主権者になることが出来ぬ。
加うるにシナに於ては、皇天上帝が命を有徳者に下して君主たらしめんとするのであるが、吾国の主権者たる天皇は、すでに述べたる如く『天神にして皇帝』なるが故に、命を受くることがない。
かくて新来の儒教は、この至要の一点に於て、吾国の古道と相容れず、従って吾国にとりてまさしく危険なる思想であった」
◎ 大川周明について
明治19年に山形県酒田市に生まれた。
東京帝国大学でインド哲学を専攻した。
語学の天才である。
英語、仏語、独語、サンスクリットに通暁。
アラビア語も堪能で、クルアーン(=コーラン)全文も翻訳した。
昭和戦前の日本人に大きな影響を与えた思想家である。
昭和7年、あの「五・一五事件」に連座し、禁固五年の有罪判決を受けた。
昭和12年に出所後は、アジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を精力的に行う。
戦後は、民間人でありながら、A級戦犯に指定された。
(*当ブログで何度も書いたように、「A級戦犯」などは連合国の「後出しじゃんけん」である。卑劣で悪辣な虚構であり、当時の国際法に違反する行為である。)
その後、東条英機らと巣鴨拘置所に拘留された。
しかし、精神疾患を理由に免訴され、釈放。
晩年は農村復興運動などにも取り組んだ。
昭和32年、71歳で死去。
「小夜嵐 よもの落葉は 埋づむとも わが行く道は 知る人ぞ知る」の辞世を残す。
追記
引用文は、大川の著書からそのまま抜粋した。
戦前の日本文であるため、少し読みづらいかもしれない。
今回、紹介した『日本二千六百年史』は興味深い書である。
大川の該博な知識には驚かされるし、独自の歴史観も新鮮だ。
常連の皆様がたも、時間の余裕があれば、手に取ってみてはいかがだろうか。