8月15日は終戦の日、または敗戦の日である。
併記したのは、特に、意味はないというか、私にとっては特にこだわりがないため、ただ並べてみただけ。
ただ、この点を厳密に(?)とらえたいと考える人もいるようだが、今回は触れないでおこう。
この時期は、お盆で墓参をするためか、身内の従軍体験者である祖父のことを思い出す時間が長くなる。
最初に支那、二回目は「地獄」と言われたビルマに赴き、死線を乗り越えてきた陸軍の一兵卒であった。
今年も、一通りの墓参(数か所)を終え、自宅でのんびりしていると、後輩の酒井からスマホに連絡が入っていた。
見ると、「殉国七士廟」に参拝してきました~という報告と写真数点。
この素晴らしい後輩に、心から感謝する次第。
恥ずかしながら、不勉強にして、この「廟」のことは、まったく知らなかった。
早速、少しだけ調べてみた。
*愛知県西尾市三ヶ根山頂にある廟
*昭和35年6月29日開園
*建墓を進めたのは、東京裁判で「殉国七士」の弁護人を務めた弁護士たちである。
*その弁護士たちは、七名の殉国者を悼むと同時に、東京裁判の欺瞞性・独善性・違法性を後世に伝えようとしたとされる。
*この廟は、前述の東京裁判の判決によって死刑を執行された七名の軍人・政治家を祀っている
*その七名とは以下の通り
東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅
毎年、終戦(敗戦)の日には、大東亜戦争のことを様々な切り口から考えてはいるが、大きな論点を多々含んでいるために概観するのも、私にとっては容易いことではない。
(「大東亜戦争」の呼称を使用する理由は、当ブログではすでに記事にしている)
大東亜戦争には様々な切り口がある、と前述したのは、ブログ主が「保守」だからだ。
(「保守」と「右翼」の定義についてはここでは、割愛する)
その点、左翼さんやリベラルさんたちにとっては、あの戦争は「侵略戦争」で、当時の日本は「軍国主義」で「絶対悪」でと決めつけているから、割と論点がスッキリしているようだ。
論点が「スッキリ」と言うよりは、左翼・リベラルさんが言いたいことは一つ。
とにかく、「一から百まで、日本が悪かったんだ!日本よ、反省しろ。戦前の価値観は全てが間違っている」ということらしい。
ホント、あの人たちは呆れるほど単細胞というか、ノー天気というか、すっかりGHQに洗脳されていらっしゃる。
おめでたい連中だ。
あの連中からすれば、愛知県西尾市の「殉国七士廟」はとんでもない施設と映るのだろう。
建墓に奔走した弁護士たちの思いなど、ほとんどの左翼やリベラルには理解できないだろう。
そして、「処刑されたA級戦犯を祀っているなんて、何事だ!参拝する人間は、右翼だ、いや、極右だ」などと思っているようだ。
別に、ブログ主は処刑された七名の軍人・政治家の全員を評価しているわけでもないし、戦争そのものを美化しているわけでもない。
しかし、建墓に尽力された弁護士の方々の気持ちは十二分にわかっているつもりだ。
と同時に、あまりにも不勉強で短絡的な左翼・リベラルの皆様方が多い事実にうんざりしている。
大東亜戦争に関して大した知識もないくせに、一方的に、「すべて日本が悪い。戦前の日本は極悪だ」とかのたまっている無知な左翼やリベラルさん、あなたたちってそんなに教養が豊かなんですか?
それほど、学識があるのなら、左派の皆様がたには、大東亜戦争や「殉国七士廟」についてあれこれ意見する前に、ぜひ、以下の質問に回答していただきたい。
*戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという行為は、当時の国際法で認められているのか?
*そもそも、「戦争犯罪」とは何か?
*「A級戦犯」とやらの定義をご存じか?
*当時の国際法における「戦争権」とはどのようなものか?
まだまだ、質問したいことは山ほどあるが、まずはこの程度のことに対して、左翼・リベラルさんたちがどんな回答を寄せるのかに興味がある。
まさか、「A級戦犯」の定義も知らずに、「あの七名はA級戦犯だから、死刑になって当然だ」とか言ったりしてないよね~?
繰り返すが、処刑された七名が立派な人物だった、と主張したいわけではない。
要は、国家間の戦争の後始末において、敗戦国の個人に刑事責任を負わせることはいかがなものか、と問いたいのである。
お盆の15日に、これ以上、不勉強で不誠実なひとたち(=左翼・リベラル)を相手に文章を綴るのはやめておこう。
今宵は、大東亜戦争において帝国陸軍の一兵卒として、支那を駆け巡り、地獄のビルマ戦線を生き延びた、我が祖父を偲んで静かに杯を傾けたい。
祖父よ、あなたは私の誇りであり、常に勇気を与えてくれる守護神に他ならない!
私は、あなたの孫であることに無上の喜びを感じている。