磯貝が怒っている。
ブログ主に対してであろうか?
それとも、なにかプライベートで嫌なことでもあったのか?
何はともあれ、腹の中をぶちまけてもらおう。
磯貝:しかし、なんだな、政治家にしろ官僚にしろビジネスの世界にしろ、どこを向いても派閥争い、派閥争いだな~。なんか、嫌な気分になるよ。正々堂々なら、まだしも、陰湿な派閥抗争やら、小学生レベルの喧嘩まで、、、もう、なんなんだ。今の日本は!
ブログ主:まあ、なんとも、、、現代日本を憂いる磯貝には悪いけど、仏教というか僧侶の世界も似たようなもんだよ、考えようによっては。
磯:確かにな~、各宗派もいろいろ分派や流れがあるからな。うん、じゃ、今日はその辺をテーマにやってみようか。
ブ:おう、じゃあ、どこかの宗派を選んで、好きなように料理してくれよ。
磯:うん、それなら、今日は浄土宗といこうか。知ってると思うけど法然上人亡き後、浄土宗はいろんな派が生まれるけど、まずは「多念義」と「一念義」だな。多念義の方は、一生念仏を唱えるからこそ極楽浄土が約束されるとしたのに対して、一念義は信心さえあったら、ずっと念仏を唱えなくても往生できるとの立場なんだよ。
ブ:そりゃ、一念義の方が楽でいいな、どう考えても。俺、うちの宗派から浄土宗「一念義」派に改宗しようかな。で、浄土宗門徒になった初日に、「南無阿弥陀仏」を唱えて、翌日からは何もしない。それでも、極楽往生間違いなしなら、最高だよ!
磯:そこなんだよ。必ず、お前みたいな不届きものが出てくる。一念義だと、信心さえあれば、何をしてもいいという方向というか危険性につながる。だから、この派は有力な勢力にはならなかった。残念だったな、ハハハ。
ブ:クソっ、期待させやがって、一念義め!意味のない連中だな。
磯:それが、そうでもないんだよ。実は、一念義派の祖・幸西の弟子筋の聖達(しょうたつ)に学んだのが、あの一遍だよ。踊り念仏で有名なあの一遍上人だぞ。
ブ:一遍上人はもちろん知ってるよ。本人は教団化に興味なかったけど、弟子が「時宗」を組織したんだったな。そうだったのか、じゃあ、一念義が生まれなかったら、一遍上人の人生も違うコースに進んでたかもな。その意味では、一念義は歴史的には意義があったんだな。
磯:そういうことになりそうだな。その後、浄土宗内で勢力を拡大していくのが、西山義を説く「西山派」だよ。この派の祖が証空(しょうくう)上人だ。証空さんは、法然上人の高弟で、法然門下での地位はきわめて高かったんだ。でな、、
ブ:ちょっと待ってくれよ、証空さんは法然上人門下の俊英だろ。なんで、法然さんの教えをそのまま継承せずに、自分の流派というか、西山義を説いたんだよ。師に対する裏切り行為じゃないのか。
磯:法然上人の教えか、、、実は、その辺が浄土宗分派の核心につながるんだよ。
ブ:おい、意味がわからんな~。
磯:法然さんと言えば、「専修念仏」のイメージだろ。でもな、自分の教えを一部の弟子たちにしか伝えなかったんだ。念仏の持つ危険性にも気づいてたんだな。だから、自身は戒を守り続ける保守的な姿勢を生涯、崩さなかったんだ。となると、弟子たちには、自由な解釈が可能になる。師の本音は「専修念仏」」なのか、「念仏以外の行も実践可能」なのか、それぞれの門下生が勝手な判断をしたから、法然没後に、浄土宗は内部分裂を起こしたんだよ。
ブ:なるほど、そういうことか!でも、法然さんは慧眼だな。恐れていた「念仏の危険性」は、浄土真宗の一向一揆で現実のものとなったな。あまたの門徒が命を落としたから、、、
磯:さすが、と言うしかないな。やっぱり、法然さんは凄いよ。あ、じゃあ、証空上人に話を戻すぞ。この人は源氏の家系に生まれ、その後久我家(=貴族)の養子になる。十四で法然門下に入り、以後二十三年間も師匠の浄土教学を学んだ。とにかく、抜群の頭脳の持ち主であったとされてるよ。法然没後に、天台教学を学び、当然、密教も修めた。だから、証空さんの浄土教学には天台教学も援用されているから、念仏以外の行も含んでいる。
ブ:公家の養子だから、貴族連中が密教好きだと知ってたんだな。念仏以外の保守的な面が、公家連中に受けたんだろうな。
磯:まさに、その通り。それもあって、西山派は教勢を拡大するんだけど、鎮西派(=現在の浄土宗、本山は知恩院)の台頭もあって次第に浄土宗内では少数派へとなっていく。現在では、西山禅林寺派、西山深草派、西山浄土宗があって、、、
ブ:また、話の腰を折って悪いけど、禅林寺って永観堂のことだよな。
磯:そうだよ。なにか、あるのか。
ブ:俺、行ったことがあるんだよ。デッカイ寺でさ、紅葉の名所として有名だよな。もともとは、真言宗だったと聞いてるぞ。禅林寺派ということは、永観堂が本山なんだ~。知らなかった。あ、関係ないけど、禅林寺の近くに、南禅寺もあるんだよ。あの石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」で有名な。
磯:まあ、あの五右衛門のセリフは後世の創作だろうけど、、、へえ~、永観堂を知ってるんだ。
ブ:たまたま、知り合いに誘われてな、、、で、他の二つの本山はどこだ。
磯:西山深草派は誓願寺で、西山浄土宗は粟生光明寺だよ。
ブ:誓願寺には行ってないけど、光明寺は知ってるぞ。長岡京市にあったよな。ここも、相当昔に知り合いと訪れたことがある。立派な寺でな~。ここも紅葉で有名なんだよ。ところで、この派の祖は誰だっけ?
磯:法然上人の弟子、熊谷蓮生法師だな。元は、あの有名な武士、熊谷次郎直実だよ。知ってるだろう。
ブ:当然だよ。源頼朝をして、「日本一の剛の者」と言わしめた男だろ。そうか、あの強者が出家したのか、へえ~。
磯:この蓮生法師の話をすると長くなるから、またの機会にしたいけどな。で、深草派に戻るが、おまえ、誓願寺だけは行ってないのか、、、
ブ:たまたまな。
磯:まあ、いいか、、、この西山深草派は、西山派の祖・証空さんの弟子の立信(りゅうしん)上人が祖とされている。誓願寺は街の中にある寺で、多くの人々に親しまれているよ。例えば、歴史上の人物だけど、清少納言や和泉式部なんかも深く信仰したから、「女人往生の寺」とも言われてるな。あと、この誓願寺からは「落語の祖」も出ているぞ。
ブ:誰だ、それは?
磯:誓願寺第五十五世法主の策伝上人だ。この策伝さんは、いわゆる「お説教」が小難しくならないように、自分の体験談や見聞したことを交えながら面白おかしく、わかりやすく話したんだよ。で、この上人の話をまとめて『醒睡笑 せいすいしょう』という書物が出来たんだな。これが、後に落語のネタ本になったから、「落語の祖」とも呼ばれてるんだよ。
ブ:面白いな。西山深草派は人材豊富だな。
磯:深草派に限らず、いろんな宗派や流の中に優れた僧侶がいたよな。まあ、考えてみれば、昔のお坊さんは知的エリートだから。なんたって、昔は寺院でしか学問ができなかったんだからな。
ブ:その点は今と全然事情が違うな、、、、ところで、磯貝、すっかり機嫌がなおったな。
磯:おう。あれこれ喋っていたら、もうスッキリしたよ。
ブ:じゃあ、今日はこの辺にしとくか。
磯:そうしよう。
というわけで、今回の対談はこれにて終了。
磯貝の機嫌も治まって、めでたし、めでたし。